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部長のつぶやきコラム

Vol.41 緩和ケアはお節介だの巻 その2

 前回、伴走者はいた方がいいよという話でした。今や国を挙げて「がんと診断された時からの緩和ケア」などと言って啓蒙普及の努力が続けられていますし、じっさい私たちもその手先となって動いています。しかしながら何年たっても世間の反応はよいものではありません。そんな私たち緩和ケアを生業にしている医療者が、無力感に心が折れそうなときに引き合いに出す有名な論文があります。

 2010年に権威ある英文雑誌に掲載されたもので、ある種の肺がん患者さんに対して「早期から」専門的な緩和ケアが介入すれば、QOLが改善され抑うつなども減るだけでなく、なんと寿命まで延長した、という話です。だから、あなたもその恩恵に浴してくださいという、緩和ケア売り込みの根拠であります。ただ、これにはそれなりの条件が付いていることはあまり語られません。

 ある時、この業界で有名な開業医 新城拓也先生の著書に、その論文における「早期からの緩和ケア」とは、定期的なカウンセリングのことであると書かれていて「えっ?」と思ったのです。以前その論文を紹介された時「古い論文だからネットじゃ見られないと思います」と言われて「まあそんなもんか」と思い、恥ずかしながら私は読んだことがありませんでした。そこで慌てて探したら灯台下暗しで、病院の図書館に現物がありました。

 そこでは新規にある種の肺がんの診断を受け、「早期からの緩和ケア」を受けたグループの患者さんのところには少なくとも毎月、必ず緩和ケアチームが関わるというプログラムが実行されていたのです。これに対して比較対象グループの患者さんは主治医からの紹介で初めて緩和ケアの専門職に出会うという、今の当院と同じ関わりでした。そのうえで、「緩和ケアチームが強制的に訪問したグループではいい結果が出ました」という比較研究だったのです。今でさえ、緩和ケアは「死ぬ間際に世話になるところ」ないしは「死神」だから「まだ早い」と敬遠されるのが現状です。患者さんの好むと好まざるとにかかわらず全員が強制的に緩和ケアチームとの面談をもつなどというのは、人手の面から言っても、患者さんの気持ちから言ってもムリな気がします。

 いいえそんなことより、早期からの緩和ケアというものは、それほどのお節介をもってしなければ、目に見える成果が上がらないのかという、ちょっとがっかりな感想でもありました。とはいえ、関わりを持つことが何かの役に立つのなら、それもまたアリではないかとも思います。実際、主治医の計らいで早期とはいかなくとも、がん治療途中から関わらせていただくことで、心配事を相談できる場所や人材を提供でき、望ましい過ごし方に貢献しているという実感もあります。世の中は変わる時には変わるものです。今は閑古鳥でも、いつか行列ができる繁盛店になるのも夢ではない、かもしれません。

Vol.40 緩和ケアはお節介だの巻 その1

 久しぶりにボヤキです。毎日病院にいて感じますのは、緩和ケアの需要って、実はあんまりないのです。もちろん潜在的なニーズというのが大きいことは承知しています。私の場合、需要と供給がうまくつながらないまま約十年を過ごしているのです。

 当院はがん診療拠点病院に指定されておりますから、万全とはいきませんがそれなりの人員と体制をもって緩和ケアの供給体制を構築しています。また周知するための取り組みも世間並みにやっております。つまり人・金・手間・時間はかけています。しかしです。どうも根本的にズレている気がしてなりません。ズレているのは売り手側のお前だろうと言われればその通りなのですが、同時に顧客側も同時にズレていると敢えて言わねばなりません。

 緩和ケアの概念自体は目新しいものではなかったわけですが、我が国でがん対策基本法が制定されたのが2006年。そこから緩和ケアというものが国策により、なぜかがん対策に特化した医療として強力に現場への普及が進められました。そこから16年。いまや全国に400以上のがん拠点病院が指定され、売り手側の整備がそれなりに進んだことは明らかです。しかし今も現場では、引く手あまたどころか人々の意識にも上りません。まるで、電気自動車は環境に良いものだと言って様々な社会的圧力がかかる中で、充電ステーションの普及は一向に進まず、消費者は別段ありがたみを感じていないし欲しがってもいないというのと似ているんじゃないかと思います。「それなら知ってるよ、でもまあそのうちにね」。たしかに、「緩和ケア?さあ、何してくれるのか見せてもらおうじゃないの?」と言われても「これがその緩和ケアでございます。」という商品は特にないのですよ。

 実際、患者さんから医者に至るまでほとんどの人から「死にそうになったら先生に頼むからよろしく」みたいに言われるのですが、そこにいくまでの過程の方がよほど大事なんですけどね。外科なら手術、みたいなわかりやすい売りがないのは困りものです。いかに説明が大切とはいえ、緩和ケアとは何ぞや、みたいな話から始めて、聞いている相手が付いて来れるとは到底思えません。それでも、重い病気を抱えた人生には何らかの形で、治療の専門科たる主治医とは別に、「職業伴走者」が居ればだいぶ違った時間になるのだろうと思うのです。もちろんそれが私たちスタッフであってもなくてもいいのですが。まあでも、これだけは知っておいて損はないと思います。「主治医以外にも、相談のチャンネルは早くから持っておいた方がいい。」今日はこのくらいにしておきましょう。

Vol.39 緩和×救急の巻

 2022年1130日、当院のがん関連看護師が中心となって「緩和ケアオープンセミナー」を開催しました。私もその勉強会の冒頭でお話しさせていただきました。この時のテーマは「救急×緩和ケア」というものでした。救急も緩和もそれぞれ専門的な領域であり、普段は必ずしも密接に連携しているわけではありませんし、一見、水と油みたいなもの同士に見えるかもしれませんが、患者さんにとってはそのどちらも大切です。

 がんを患った患者さんにはその経過を通じて様々な場面があります。病気そのものや、抗がん剤などの治療によって引き起こされる緊急症「オンコロジックエマージェンシー」という状態では、いち早く診断と治療が開始されなければなりません。

 一方、ひと通りの治療を経験し、抗がん治療を見合わせた方がよい時期に差し掛かると、全体的な体調不良が慢性化します。その過程で起こる困りごとや不安は、救急車を呼ぶことでは解決できない問題も多々あります。病人がいて病気を持っているから、なんでも病院に運べばどうにかなるというわけではないのです。救急か、緩和か、の二者択一という問いからして間違っています。その二つは常に並行しており、場面に応じてその比重を変えていく性質のものだと私は思います。

 今回のセミナーでは、緩和ケア医、救急医、そして救急の看護師の立場から様々な経験を披露しあいました。患者さんや家族にしてみればすべてが未経験で、不安をどうにかしたくて救急車を呼んでしまう。一方限られた人手と時間で急患に対応する救急部門との間で、期待と現実のズレは常にあります。コミュニケーションの行き違いを減らすためにも、地域で活躍する介護職、医療職の皆さんと情報共有を密にし、目の前の人を大切にする関係を築いていけたらいいなと思います。そうすることで、患者さんや家族の意向に沿った人生のお手伝いができるのだと思います。

 当院は救急に力を入れる病院であると同時に、神奈川県の地域がん診療連携拠点病院にも指定されています。がん患者さんに必要な時に必要な医療を提供するため、専門領域を超えた連携が現場を支えています。

Vol.38 病院にくる以前にだいじな話の巻

 ちょうどこれを書こうとしていたら、遠くの国で戦争が始まりました。今後どうなっていくのやら他人ごとではありません。メディアはここぞとばかりに強烈な情報を何度も繰り返し流しています。私は、これでまた世間に「にわか国際紛争専門家」や「にわか軍事評論家」が湧いて出るのだろうなと、不謹慎ながら思わず苦笑いしました。我々凡人の世間話が行きつくところなど、善悪二元論か、平和憲法信者VSネトウヨのようにリアリティのない空中戦がせいぜいのところでしょう。

 そういえば少し前にはだれもが「自称 新型コロナ専門家」のようでした。連日テレビで速報される感染者数に反応し、コメンテーターの話をオウム返しに拡散したものです。その時も私は、病院でコロナ最前線からちょっと後ろのあたりで苦笑していましたっけ。私は昭和生まれのテレビ世代ですからテレビを悪く言う筋合いはないのですが、経験上、ずっと見ていると身体に悪いです。ネット動画も同じです。 長時間座ったまま見ていると血栓ができるとか、メタボになるとかの話ではありません。

 私やあなたにとって最優先でだいじなことはテレビの中になんてないと思うのです。タダで眺めるだけの情報で世界を理解した気になるのは簡単です。でも誰かが切り取った危機や犯罪の映像を繰り返し見るそのおなじ時間で、どれだけ目の前のひとの役に立てるでしょうか?どれだけ自分の未来をよい方向へ変えられるでしょうか?

 現代は昔に比べると目の前の物事へ集中することがおろそかになっているのだと思います。気をそらすことばかりが多く、よほど選ばないと時間を食いつぶすばかりです。人生で時間より大切なものはないと思います。私はこの年でやっと、そのことをはっきり自覚するようになりました。本当は東日本大震災の時にいちど、そう気が付いたんです。でもまもなく忘れました。年をとっても取らなくても、ひとは病気になるし、天災や社会の変化によっても、それまでの当たり前が急に当たり前でなくなります。

 人生の目的を早くに決めることのできたひとは幸せです。そうでない私のような人も多いでしょう。ならば目の前のことに夢中で集中している人を応援するだけでもいい。自分にとって意味のある時間を最期まで使い切れたならそれが幸福というものでしょう。今回は直接病気とは関係ない話題となりましたが、病を得ても善く生きることの根底には、そんな要素も関わるのではないでしょうか。

Vol.37 青天の霹靂の巻

 ここで問題です。

 歳をとってつつがなく暮らしていたつもりが、ある日重い病気が見つかり、医者は治療が難しく、しかもここからの寿命は短かいだろうと言っている。想像がつきますか?あなただったらどう反応するでしょうか。こういうとき、いま現在は元気なのに、なぜか「早く死なせてほしい」と希望される患者さんは少なくありません。かといってふさぎ込む様子もない。しかも判で押したように、「もうご飯も食べません。点滴なんてしたら延命になってしまうからやめてください。先生のところへ行けばスーッと死なせてくれるんでしょ?」と言い出します。ちなみに点滴しなければ楽に早く死ねる、も、カンワに行けば早く死ねる、も勘違いです。早とちりです。

 私たちも慣れているので、それを聞いて驚くことはありません。否定したところで聞く耳はないのもわかっています。本人が最良の選択だと興奮している最中に、かける言葉はありません。ああ、この人は今そっち側へ行ってるのだなと思います。私は何度か、どうしてそのように希望するのか、聞いてみたことがあります。ある人は、どうせ死ぬのなら、今死んでしまいたいと言いました。ずっと先だと思っていたお迎えが案外近いと知った途端、今度はいつ崖っぷちから落ちるのかと心配しながら日々を過ごす、そんな悩みから解放されたいようでした。

 先の戦争で日本の軍隊では、追いつめられると進んで最後の突撃をして自ら全滅する部隊も多かったと何かで読んだことがあります。それと似ている気がしました。あれはたぶん「戦陣訓」のような規範のせいだけでなく、ひとは進退窮まると、ややこしい取引を抜きにしてさっさと物事を始末してしまいたい心持ちというのがあるのかもしれません。

 またある人は、「○○がん」という病名を聞いただけで、その病気は必ず痛みで七転八倒するものと決めつけ、そうした症状が出るのを怖がるあまり、早く逝きたいと仰っていました。また別のある人は、病気で動けなくなったりすること自体が「家族や皆さんに迷惑」だから早く逝きたいと言いました。そういう心境が、私たちの言葉や働きかけで変わるかもしれないと思うこともあります。しかし、私などが「そんなこと言わないで」「考え直そうよ」などと別の価値観を押し付けたとしても、その人にとっては破壊行為にしか見えないかもしれません。その人が長年蓄積した思考パターンから出した答えを、他人が救世主気取りでもてあそぶことには抵抗があります。せめて私たちとのかかわりの中で、「生きているのも案外捨てたもんじゃないな」と思ってくれたらいいなと願うばかりです。

 いずれにせよ、その時の都合で「早く逝きたい」と願っても、残念ながら思ったようにはなりませんし、そのお手伝いもできません。海外でしばしば行われる安楽死を夢見て「緩やかな自殺」を願う心情に対しては、少なからず共感もできます。私だって健康を損ない、生きる意味を失ったと感じれば、正直「もういいや」となるかもしれない。悔いのないように生き切って、これで満足と思って迎える最期と、後悔と失望で迎える最期の間には相当の隔たりがあるはずです。自分ができることの範囲で前者を味わうにはどうしたらいいか?自分にとっての生きる意味って何だろう?何となくわかるのですが、そのための行動は簡単ではなかったりします。たぶんあなたもそうでしょう?

Vol.36 告知と宣告の巻 その2

 前回に引き続き、今度は「宣告」という言葉について考えてみましょう。穏やかではありませんね。だって一般に「宣告」という言葉は「死刑」とセットでしか利用法がないですから。そんな穏やかでない言葉にもかかわらず、病院で患者さんの「余命」が話されると決まって「余命宣告された」という言い方が使われます。

 これだけでも世間一般では、「余命」という言葉が死刑と同じ括りで理解されているのだと明白にわかります。どうやら、「余命宣告」という表現は、二つの誤解に基づいて用いられていると思います。まず、ひとの余命は裁判の判決とは異なり、決められた予定ではありません。余命は見込み、あるいは予想です。医者の言う余命が必ず当たるならば、余命宣告=死刑宣告のイメージにも納得がいきますが、けっこう外すのが常です。私たちの業界には「予後予測」という用語はありますが、これさえあれば余命がわかる、というツールは未だに存在しません。

 第二に、余命を「宣告」するという表現は、テレビや小説でしばしば見かけます。しかし現場の医者が、余命を「宣告」したと自分から言ったり書いたりしたものを、私は見た記憶がありません。つまり余命を語る側の医者は、自分が患者さんの余命をあらかじめ知っていて、それを断定的に「宣告」したなどとは夢にも思っていないわけです。むしろ、人生の終わりはいつかそのうちだと思っていた人に向かって、「案外そうでもなさそうですよ、有限ですよ」と気付いてほしい気持ちでお話をしています。ましてや日時の約束では断じてない。ところがです。それを聞いた患者さんや家族は全く違うメッセージとして受け取るようです。それこそが、自分の残り時間を言い渡された=自分の予定を他人から一方的に宣言された=「宣告」された、という感覚ではないでしょうか。その感覚はまさしく受難というにふさわしい、被害者感情だと思います。

 ふだん患者さんと話していると、医者というものは、目の前のひとの寿命を知っていて当然、という暗黙の常識みたいなものを感じる時があります。「いやいやそんな訳ないでしょう。未来予知なんて学校で習ってないですよ。」などと軽く返そうものなら、却って冷ややかな視線を感じることさえあります。医者が予想した余命は、それを口にした瞬間に、聞いた人の頭の中で確定した予定として機能し、その日付へ向けてのカウントダウンが始まってしまうようです。だからこそ、余命について言及することには慎重であらねばならないと思うわけです。ひとたび予定として信じ込んだ人に向かって、あとから「あれはあくまでも予測です」なんて言っても通じませんから。

 そんなわけで、「余命宣告」という言葉は、余命を言う側ではなく、言われた側の理解に基づく表現に違いないという話でした。それにしてもですよ。私も含めた現代人の特徴かもしれませんが、予定が逐一叶うのが当たり前だと思っているフシ、ありませんか?今まで自分の人生を予定通りに生きてきた人、います?それで未来も予定通りに?な・い・な・い。期待しすぎず予定に囚われず、おおらかに生きていたいものですな。

Vol.35 告知と宣告の巻 その1

 私たちが使う言葉には、本来の意味に加えてもれなくオマケが付いて来ることがあります。そのいい例が「告知」と「宣告」ではないかと思います。今回はまず「告知」についてみていきましょう。一般に私たちが使う言葉には、本来の意味に加えてもれなくオマケが付いて来ることがあります。そのいい例が「告知」と「宣告」ではないかと思います。

 一般に「告知」と言えば、生活上必要な情報を発信することを指します。商業的には製品仕様の変更とか価格の改定などを周知することなどが挙げられます。テレビで芸能人が次に出演するドラマなどを宣伝することも「告知」と言われますね。それらに対して、医療における「告知」はかなり特殊な場面でしょう。宗教絵画のテーマで「受胎告知」というのを目にされたこともあると思いますが、それくらい特別な感じではないでしょうか。なぜといって、ふつう医者から「あなたの病名は風邪だと告知された」なんて言わないでしょう?告知と言えばたいてい「がん」と相場が決まっています。風邪でも虫垂炎でもなく、もっと言えば心筋梗塞などのきわどい病気の場合でも、めったに「告知された」とは言いません。

 言い慣わしというのは不思議なものです。なぜ、がんの場合に限ってわざわざ「告知」なのか?それは、世間の常識では「がん」という病名がとくべつに悪質だからです。ふつうのひとが思いつく最悪の病気が、がんなのかもしれません。ある病気の重さへの認識は、診断した医者とか検査結果、あるいはのちに判明していく経過が決めるのではなく、じつは「世間の常識」によってあらかじめ決めつけられている部分が大きいといえるでしょう。その、あらかじめ決めつけられたイメージのために、必要以上に重くなった病名を、「はいこれあなたのです」って抱え込まされる重圧というものが「告知」の重さなのだと思います。だから、医者の側も受け取る側の重さを想定してたいそう気が重いし、じっさい重く振る舞ってしまう。その結果、双方が「世間の常識」に合わせた重さを共同で演出してしまう傾向は否めません。世間の文脈を、思わずなぞってしまうのです。

 医療の進歩により、がんが必ずしも「診断されたら即、手遅れで苦しみぬく」ような時代ではなくなっているのに、「世間の常識」はアップデートされません。メディアがドラマチックなケースばかりを大きく取り上げることも一因かもしれません。病名は同じでも、経過は本当に人それぞれです。自分の場合はどうなのか?世間のイメージに惑わされず、間違った思い込みや余計な雑音を差し引いた正味の重さだけで勝負したいものです。もしあなたにそのような順番が回ってきたら、そして最初に受け取った荷物があまりに重すぎたなら、その中身の正味の重さを知るために助けを求めてください。ドアはいつでも開けているつもりです。「告知」と言えば、生活上必要な情報を発信することを指します。商業的には製品仕様の変更とか価格の改定などを周知することなどが挙げられます。テレビで芸能人が次に出演するドラマなどを宣伝することも「告知」と言われますね。それらに対して、医療における「告知」はかなり特殊な場面でしょう。

 宗教絵画のテーマで「受胎告知」というのを目にされたこともあると思いますが、それくらい特別な感じではないでしょうか。なぜといって、ふつう医者から「あなたの病名は風邪だと告知された」なんて言わないでしょう?告知と言えばたいてい「がん」と相場が決まっています。風邪でも虫垂炎でもなく、もっと言えば心筋梗塞などのきわどい病気の場合でも、めったに「告知された」とは言いません。

 言い慣わしというのは不思議なものです。なぜ、がんの場合に限ってわざわざ「告知」なのか?それは、世間の常識では「がん」という病名がとくべつに悪質だからです。ふつうのひとが思いつく最悪の病気が、がんなのかもしれません。

 ある病気の重さへの認識は、診断した医者とか検査結果、あるいはのちに判明していく経過が決めるのではなく、じつは「世間の常識」によってあらかじめ決めつけられている部分が大きいといえるでしょう。その、あらかじめ決めつけられたイメージのために、必要以上に重くなった病名を、「はいこれあなたのです」って抱え込まされる重圧というものが「告知」の重さなのだと思います。だから、医者の側も受け取る側の重さを想定してたいそう気が重いし、じっさい重く振る舞ってしまう。その結果、双方が「世間の常識」に合わせた重さを共同で演出してしまう傾向は否めません。世間の文脈を、思わずなぞってしまうのです。

 医療の進歩により、がんが必ずしも「診断されたら即、手遅れで苦しみぬく」ような時代ではなくなっているのに、「世間の常識」はアップデートされません。メディアがドラマチックなケースばかりを大きく取り上げることも一因かもしれません。病名は同じでも、経過は本当に人それぞれです。自分の場合はどうなのか?世間のイメージに惑わされず、間違った思い込みや余計な雑音を差し引いた正味の重さだけで勝負したいものです。もしあなたにそのような順番が回ってきたら、そして最初に受け取った荷物があまりに重すぎたなら、その中身の正味の重さを知るために助けを求めてください。ドアはいつでも開けているつもりです。

Vol.34 期待外れの巻

 世の中ではよく「あいつにはがっかりさせられたなあ」などと言います。日本代表チームが「金メダル確実だと思ったのに・・・」。期待が叶わなかった時の落胆は大きいようです。

 ところで医療者が、患者さんのことを困難を抱えたかわいそうな人であると定義すれば、患者さんは常に弱者となり、人間として対等であることが難しくなります。患者さんが、医療者を権威者・権力者と定義すれば、言われたとおりにした方が得な相手であり、黙って従わないと怖いから、自分の言いたいことよりも医療者が望みそうなことを話すようになります。患者さんが、医療者を何でも知っている万能の存在と定義すれば、知らないことが発覚すると信用は地に落ちます。患者さんが自分を医療サービスを受け取る消費者だと定義すれば、医療者は支払うお金に対してできる限りのサービスを絞り出させる相手となります。医療者が、患者さんをお客様と定義すれば、ご機嫌を取って一つでも多くの有料サービスを買っていただく相手となります。どれをとっても望ましい関係性ではないように思えます。

 今挙げたようなそれぞれの立場の「定義」は、そのまま「期待」と言い換えることができます。誰もがほとんど無意識のうちに、他者に対して何かしら期待しながら生きています。「私が愛しているのだからあなたも私を同じように愛して欲しい。」「自分がこれだけ頑張っているのだからお前もそうしろよ。」「自分が我慢しているのだから我慢しない奴は許せない・・・。」これ、全部他人への期待です。大きなところでは、日本国憲法の前文にも「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して」という一節があって、諸外国が絶対的にいい人ばかりであってほしいと熱烈に期待しているわけです。究極の片想いとも言うべき、一種の美学であります。

 しかし、期待をすると、時々裏切られます。一方、期待された側はそんな期待があること自体を知らなかったり、ましてや自分からその期待に応えますと言った覚えもない。残念ながらそのようなすれ違いは多々あります。ちょっと物騒な話になりますが、病院というのは患者さんの期待に応えられなかった場合、裁判の場へ引き出されることがあります。そこでは「期待権」という言葉が取りざたされ、患者さん側の暗黙の期待に応えなかったという認識に対して賠償金が認められたり、認められなかったりします。暴力に訴えるよりはマシとはいえ、思いが叶わなかったことを裁判で争うとは何と悲しいことでしょう。たとえ勝ったとしても、そこでせしめた賠償金でなにか満足が得られるとは思えないのですが。

 難しいのは、「これくらいの期待には応えるのが当たり前」という基準が一つに決められないことです。なんでもルールで決めてしまえば楽だという考え方は確かにあるのですが、決まりごとはひとを窮屈にもします。私なら、窮屈なまま生きていたくはない。かといって「同意書に書かれていない期待はなかったことに」と言える筋合いもない。一般に「期待外れ」と言えば、期待に応えられなかった側が悪いという前提で判断されます。期待する側が正義。でもほんとにそうなのか?実は自分が勝手に期待しているだけなのに、いざ裏切られると「期待させておいて!」といって怒っていないだろうか?

 本来なら、期待外れという不快感の矛先は、まず最初にうっかり期待をしてしまった自分に向けられて、その次に、当の相手がその期待を不当に煽ったのかどうかを問うのが順序だと思います。「患者さんの期待に応える」ことは私たち医療者の基本的な務めではあります。期待してもらえることのありがたさと重荷を感じつつ、つい我々も患者さんや家族に対して「このくらいはいいだろう」「わかってくれるはず」と期待してしまうことは人間としてお互い様だと思います。まずは、私たちがひとに何かを期待したなら、それが自分の一方的な思いではないかと自問していきたいと思います。そういう私も、日々勝手に期待してはもやもやしているのです。どうすればお互いに共感しあえるのでしょうか。

Vol.33 変わらない世の中の巻

 コロナ禍に入っていろいろと変わったことがあります。病院だと、例えば入院中の面会が難しくなったとか、学会などが軒並みリモートになったとか。病院はどこもさぞかし大変だろうと思うかもしれません。たしかに人手不足がさらに浮き彫りとなり、全体的に世知辛い感じは増したものの、ふたを開けると病院ごと、病院内でも部署ごとにその様相は全く異なります。当院は新型コロナの重症患者さんを受け入れる病院でありますが、私自身は重症者を直接診療するわけではなく、後方支援の係であってそれほど負荷はかかってきません。つまり、バタバタした病院の中にあっても、重症患者をずっと診ている医者とそうではない医者に分かれています。

 前者の仕事をするには相応の資格や経験が必要なので、医者ならだれでもできるということにはなりません。そうした重症者向けの医者は普段からたくさんいるわけではなく、コロナ禍で急に需要と注目が集まってしまい、供給が追い付かないまま間もなく2年経とうとしています。しかも、ただでさえ少ない専門の医者が、日本の場合は中小の病院に分散しており、ちょっと需要が増えると1名が24時間体制で頑張らなければならない、といったことはざらにあります。そんなの続くわけがないので、本当は人も設備も集約化しなければなりません。同じような話は昔からあります。

 20年位前から少子化や仕事のキツさから全国的な外科医不足が懸念され、少ない外科医でどう仕事を回すかといった問題があって、解決策としては2つ提案されていました。即ち、仕事を上手にシェアして一人ごとの負担を減らそう、もう一つがたくさんの病院に分散している外科医をなるべく1か所に集めてしまえばよいというものです。これはその通りで、特に後者については手術を1か所に集約すれば、仕事を大人数でシフト制にしやすいし、しかも手術というのは場数を踏むことで上手になることが半ば決まっているので、いいことずくめです。なのに全く話が進んでいない。こういう話になると、やれ政府の指導が弱いだの、医師会が既得権を手放さないだの、いや、地域住民のないものねだりがひどいのだ、と「犯人捜し」が始まりますが、物事はたいてい歴史的経緯の結果として形作られるのです。

 新型コロナの集中治療にあたる医者も同じ構図です。長いことみんなが、なんとなくそれでよしと思っていた仕組みは、そう簡単には変われません。次に本当の大波が来て、医療者が集団で過労死するような事件でも起きなければ、数年後の新興感染症の時にも変わっていないでしょう。現場ではその都度、一部の人達が、いくらでも絞れる雑巾の地位に甘んじていたとしても。今回はなんだか悲観的な話になってしまいました。ほらまた、一体こんな話のどこが緩和ケアに関係あるのかって?あらゆる話はつながっているのですよ。

Vol.32 行きはよいよい帰りはこわいの巻

 時々同じような話を、少し角度を変えながらお話ししています。私はどちらかというと、がん治療の主治医となる医者と患者さんの関係を横から眺めるような位置にいます。経過はひとそれぞれですが、とても難しい場面というものがあります。それは、これまでやってきた抗がん剤をいつ「やめるか」という判断です。治療を開始する場面では、誰しも病気が発覚した以上、何かせずにはいられないから、医者の話もそこそこに、腹をくくって治療の世界へ飛び込める人が多いでしょう。医療者からすれば、「ああよかった、治療のレールに乗ってくれた」と安堵するところです。しかし、「やめ時」となるとそうはいきません。

 患者さんの立場から見ると、その治療をやめるということは即、寿命をあきらめる、言い換えると、「やめたら死んでしまうのではないか」という恐怖に直結してしまう。医師の立場からは、治療の中止を切り出すということは「もう何もしてくれない」とか、「医者が匙を投げた」という印象を与えかねません。「もう手がない」と思われることは避けたいという感情もあるでしょう。そんなふうにお互い言葉にならない探り合いをしているのだけれど、どうもかみ合っていないのです。私はひとりでこの状態を「治療中止のもやもや」と呼んでいます。

 私の感覚では、思いがかみあわずにもやもやしてしまう理由は、双方がその都度、その治療の目標をきちんと共有していないことにあると思います。例えば、最初の治療は完治を目指す、でも今回はできるだけ進行しないことを目指すのだといったように。治療目標については実は、医者と患者の間で最初からボタンを掛け違えていることがあります。一般に、いわゆる早期がん以外は、多かれ少なかれ手術をしても転移や再発の可能性があります。転移や再発に対する抗がん剤治療では、これもほとんどの場合、治療目標は根治ではなく延命です。言い換えると、その治療をすれば完全に治るということは期待できない代わりに、効けば思ったより長生きできる、ということです。だから、基本方針は、「治るわけではないけど、ある程度元気なら次もその次もやる」、それだけです。これは医者にとっては常識であり、私もこれまでに何度も書いてきたことです。

 しかし、患者さんの側が「治療すれば完治する」とか、「次の治療をすれば元気になる」といった期待を目標にしてしまうと、途中で「この治療、いつまでやったら治るんですか?」といった疑問がわきます。そんな質問をされたら医者の方も人情が作動しますから「いや、治らないって言ってありましたよね」とは言いにくいし、だいいち面と向かって聞いてくるひとは稀です。逆に患者さんが「治らないならやっても仕方ない」と自分から匙を投げてしまう恐れもあるので、迂闊にはっきりとも言いにくい。

 一般に、数種類の治療を順次、繰り返し行う過程で、病気自体の進行と副作用によって生活能力が低下している方が多くいます。それでも検査データ上、ある程度安全に次の治療ができそうであれば、わずかでも延命が「期待できる」ので医者は勧めるでしょう。ただ、結果として現実にはその治療中にさらに体力が落ちて、家ではほとんど寝ているのかもしれない。そう、必ずしも効いている、イコール、 元気になる、ではない。そういうときでも、その治療によって何を得ようとしているのか、まともに考えている人がどれくらいいるのか私にはわかりません。実際に、今までの治療が効きにくくなったところで、勧められて次の治療に入ったものの、体力が落ちていき、結果的に長く入院している患者さんも少なくありません。始める前に主治医からは「効果はないかもしれない」とか、「副作用はこうだ」とか、必ず説明はしているので、手続き上は納得ずくであることには違いないのでしょうが、見ていて何ともやりきれない思いは残ります。その方たちの全員が、「死ぬまで一発逆転の夢をあきらめない!」と心に決めて治療を選択しているとは到底思えないのです。

 ならば事前にこう問いかけるのはどうでしょうか?「治療によって時間を稼げたら、何をしたいですか」「それをするにはどれくらいの体力が要りそうですか?」と。そうすれば、仮に病気による衰弱や副作用でやりたいことができそうもない時を、「治療のやめ時」にできるかもしれません。ただこの辺りの感情の機微が一筋縄ではない。「どうしてもやりたいこと?」と言われても思いつかないが、さりとて何か治療を受けないのも不安、という葛藤がある。今や体力が落ちて、身の回りのことをするのもやっとだが、医者に勧められた治療に希望を見出したいという気持ちもあるでしょう、だって「治療」なんだもの。「治療」の反対は「放置」?「死を待つだけ」?に思えるから・・・。

 その治療の目的や効果はさておき、単に「治療を受ける イコール 希望が持てるポジティブな行為」、「治療をやめる イコール 希望を捨てるネガティブな行為」、といった善悪に近い価値判断・ジャッジが暗黙のうちにあって、安易にやめたいなんて言えない。またあるいは、治療をやめた後のイメージがつかないことに恐怖し躊躇しているのかもしれない。難しく考えずに成り行き任せ、という生き方だって私は「あり」だと思いますが、いずれにしろ、頭でいくら考えても、確定した未来がない以上、正解はない。もしかすると、覚悟という言葉はそのためにあるのかもしれません。

 恐らくこの話、突き詰めれば自分は何のために生きているのか、という哲学的なところへたどり着きます。しかし、「あなたはいったいどうしたいのだ?」という医療者からの問い詰めは、意思決定という名の下に自己責任を作って押し付けるだけの「作業」に成り下がってしまいます。「この患者さんは取り調べの結果、自分からこうしたいと決めました」というアリバイ作りでしかない。その人の価値観、生活感、人生観に沿った希望が治療選択に反映されているのか?、目の前の患者さんは、病院というアウェイの舞台に舞い上がってしまってはいないだろうか?という自制が医療者には必要だと思います。よほど緊急の決断でなければ、むしろその場で決めなくていい、というひと言は添えるべきなのではないかと思うのです。

 念のために言っておきますと、何らかの理由で抗がん剤を中止した場合、やめたとたんに死が襲ってくるようなことはありません。それまで耐え忍んでいた副作用が軽くなることもあれば、だるさが軽くなり、食欲が戻って日常生活をしばらく取り戻せるかもしれません。私たち医療者に必要なのは、治療のレールに乗ってもらって安心するだけでなく、いつか来る治療中止の判断を、不確かな予測とともに寄り添っていくことなのでしょう。

Vol.31 やさしさが時にあだになるの巻

 だいじなことなので何回も載せていきます。医療におけるバッドニュースとして引き合いに出される「がん告知」。今では患者さんご本人にはきちんと説明するのが基本です。インフォームドコンセントの観点からも当然のこととされています。しかし患者さんがご高齢だったり弱っておられたりすると、事情は異なります。それはご家族からの「本人には言わないでください」という思いやりです。

 現場でよくみられるのが、医者が家族だけ呼び出し、「かくかくしかじかで、お母さんの(お父さんの)病気はかなり進んでいます。」としたうえで、「これをご本人にもお話ししていいですか」と自分から聞いてしまうという失敗です。反論があると思うのであえて言い切りますが、これは医者としては失敗なのです。本人の可能性を勝手に否定し、意思決定の責任を家族に負わせていることに加えて、そのあとの口裏合わせを自分以外のスタッフにも負担させることになるから、三重の意味でいかんのです。

 しかもこの場合、ご家族の希望はほぼ例外なく「母(父)は気が弱いんです。がんだなんて知らせたらどんなに希望を失ってしまうかわからない。だから言わないでください。」です。家族はそれでホッとする。願いを聞いてくれていい先生だ。なるほどその場はそれで済むでしょう。たいへんなのはそのあとです。認知症もなく、そう簡単に意識を失うわけではないお母(父)さんのところには、いつまでたっても自分の見通しを知らされず、病状が悪化しても逃げ腰でごまかされて過ごす羽目になります。「おかしいな、おかしいな」と思いながらも自分からは怖くて聞けないまま、疑心暗鬼もつのります。「知る権利」どころの話ではありません。

 この、「自分だったら告知して欲しいのに、家族(親)には知ってほしくない」という人間の二面性、ダブルスタンダードのおかしさに気付いてほしい。動機としての「やさしさ」は否定できません。ただ、その人が告知のストレスに「耐えられる」って一体どういうことなのでしょうか。平気でいられる人などいるでしょうか?ではもし平気そうに見えたらもうOKなのか?逆に耐えられないとして、その「耐えられない」とは具体的にどういう反応のことを言っているのか?淡々としていればセーフで、取り乱したらアウトなのか?そんな時はいちど、「私の親はそんなに弱っちい人なのか?」と自分の胸に手を当てて聞いてみてほしい。親のためと言いながら本当は、親の辛そうな姿に向き合う「自分が」辛くなるのを避けようとして、口止めしたいのではありませんか?

 またときには、「今は言えないけど、いつか頃合いを見て話せばいい」と先送りの希望がでることがあります。じゃあ、いつなのか?既に状況が悪いからこそ「今は言わずに」と言っているのに、もっと悪くなってから「実は・・・」なんてだれが言い出せるというのでしょうか?「今」言えない嫌なことは、時間がたてばもっともっと言えなくなるに決まっているのです。ここ、意外と大事なところです。

 思い起こせば2011年の原発事故の直後、当時の政府は「本当のことを国民に知らせたらパニックになるから伏せておく」ことにしたと聞いたことがあります。その時、私自身は国民として「ひどくバカにされた」と思いました。税金は取るくせに大人扱いされていないのかと。もちろんこれは私個人の感想に過ぎませんし、大騒ぎして死人が出ても責任の取りようがありません。ましてや権利の行使が常に最高の価値だとも思わない。当然ながら、告知することが常に正しくて、いい結果だけを生むわけではありません。だって最初から悪い知らせなのですし、その状況は様々です。

 でも、ネガティブな反応を恐れるあまり、本人を蚊帳の外においたまま、周囲がよく考えもせずに「うっかり」真実を言わないと決めてしまうことには警鐘を鳴らしたい。大事なのは、誰のための、何のための告知なのかという目的です。それは、最低限の自律・自尊心の確保です。自分の問題について周囲の人に嘘をつきとおされる人に尊厳などあるでしょうか?自分のことに悩むことさえ許されないなんてあんまりではないですか?誰しも重い病名を告げられれば、こころ穏やかではいられません。体験した人からは「頭が真っ白になって」その後の説明をよく思い出せない、ということをよく耳にします。

 また、治療が進歩して生存期間が長くなった分、一旦良くなっても転移・再発を経験する機会も多くなります。その場合の告知は、むしろ初めて病名を聞いた時よりもショックが大きいとも言われます。そしてもう一つ大事なことは、病名そのものの告知と、その病状から予想される先行きの予測は分けて考えなければならないということです。同じ病名でも、それが早期がんであれば高い確率で完治が期待できます。命の心配が要らないということです。それに対して進行がんは進んでいるほど予測は悲観的なものになりやすい。しかしです。例えば同じstageⅣであっても、そこからの未来は誰にも正確に予想できません。未来のことは断定できないし可能性は無限です。なので、医者から見て十中八九、余命が短いと思われても、それは決して断言できません。医者は予言者ではないから。

 よって、悲観一辺倒の予想を押し付けることにはマイナス面が大きいのです。だから、現状の事実と、予想は分けて伝えなければならない。現状の事実が重く困難であっても、それはきちんと本人に伝えることが原則だと思います。でも「もう無理」とか「やりようがない」といった価値判断は、「だからすぐ死ぬ」といった短絡的な印象だけを植え付けてしまうことになります。それでは希望も何もあったものではありません。なんとなくわかりますか?バッドニュースを伝えることは嫌な役割ですが、まずは医者の仕事です。正しい情報はきちんと伝える。しかしそれと同時にそこからくる「二次災害」どれだけ軽減し、人生を豊かにする選択へつなげていくかというのが、多職種によるチーム医療の目指す方向です。ともすれば、それほど緊急ではない物事でも、医者に迫られると、慌てて今すぐ決めなくてはならない気がしてしまうことも多いと思います。

 入院や、重い病気の知らせなど、未経験な状況に浮足立つ患者さんやご家族に、ひと呼吸置いて熟慮を求めることも医療者の仕事のうちです。もし「お母さん(お父さん)に告知していいですか?」と聞いてくる医者に出会ったら、「今すぐ決めなくてはなりませんか?」そして、「先生から上手に伝えてほしいのですが。」そうお願いしてみることをお勧めします。様々な経験からのご意見はあると思いますが、いかがでしょうか。

Vol.30 目の前の人を大事にするの巻

 前回、久しぶりに医療用語の伝わりにくさについて書きました。ちょうどそんな折、日本緩和医療学会というイベントで、興味深い講演を聞く機会がありました。演者は佐藤尚之氏という、電通出身の広告・コミュニケーションの専門家でした。講演の主旨はこんな感じです。インターネットが発達し、世界中で爆発的に情報量が増加している中で、日本人の大半がリテラシーの低い、いわゆる「情報弱者」に分類される一方、ごく少数の敏感で活発な人たちにとっても、日々流通する情報量が多すぎるために個々の情報は砂粒ひとつほどの重みもなくなってしまった。こうした時代にあっては、不特定多数へ向けての情報発信は全く無意味で届かないものに過ぎなくなった。したがって医療者においては、自分たちが特殊な情報を扱う「マイノリティ」であることを自覚したうえで、「正しい」情報を「共感される」情報に変換し、大勢に向かってではなく、目の前のだだひとりに向けて真摯に伝える努力が大切である。一見能率の悪いことに見えるかもしれないが、実は共感と信頼感に裏打ちされた情報の伝播力はすごいのだ、という話でした。それを聞いた私は、このコラムも含めて、今まで自分たちがやってきたことは何だったのかなあと頭がくらくらしてしまいました。

 そして、講演の最後にもう一つダメ出しが待っていました。いわく、「緩和ケアって言葉は、医者側から出た言葉ですよね?私たちの日常語には緩和っていう言葉、出てこないですよ。」としたうえで、「緩和ケアってほんとうは、ひとをしあわせにする医療のことですよね?伝わらないですよ。「人をしあわせにする医療か・・・。」そもそも、医学とか医療というものは全て、ひとをしあわせにするためにあるはず。名前ひとつ取っても、提供者側の都合だけでものを考えがちなアタマの仕組みを、どうにかできないのかなと反省しきりです。

 患者さんや家族にとっては、重い病を得たことも、病院と関わることも、突然「非日常」に引きずり込まれたような体験のはずです。しかしそれは同時に、その日からはそれが日常に置き換わったという現実でもあります。非日常を日常という現実に適応していくためには、何かしら第三者の助けもいるのではないでしょうか。受け入れがたい事実と付き合いながらも決して希望を失わないこと、この二つは両立可能であると思います。そのスキマでお手伝いするのが私たちの役割ではないかと思っています。来月から「緩和ケア科」を「もうちょっとしあわせ科」とかにしてみようかな。

Vol.29 業界用語の壁の巻

 病院での検査・治療という未知の世界に迷い込んだ患者さんが、医療の世界の言葉を理解するのは必ずしも容易ではありません。なじみのない事柄への理解を促し、希望を叶えるお手伝いをすることも、広くは緩和ケアに含まれることがらだと思います。医者というのは技術屋であると同時に接客業でもありますから、ともするとややこしい専門的な説明を、最終的には相手、すなわち患者さんや家族に「わかった」と思っていただかなくてはなりません。そして「治療を受けてよかった」と感じてほしい。あとになって「聞いてないよ」「こんなはずじゃなかった」「こんな風になるなら治療なんて受けなかったのに」といった後味の悪さは一生の後悔となり得るし、トラブルにもなる。「あの状態で命が助かっただけで儲けもの」では済まないことも多いのです。

 さて、説明して同意を得るという過程を「インフォームドコンセント」と呼びます。コンセントと言っても壁に付いている電源のあれではなく、consentは納得して同意するといった意味の英語です。医者はわかりやすい言葉で丁寧に説明し、患者さんは利害得失を十分に理解したうえで主体的に自分の治療を選択するというのが理想的とされています。なので説明は当然大事なのですが、そこで使われる言葉の意味が伝わっていないことがよくあります。以前も挙げましたが、医者の説明によく出てくる言葉の例です。解説付きです。

いくつくらいわかりますか?

「ひんかい(頻回)に」=頻繁に。かなりよく使われる医療者独特のことば。

「よご(予後)」≒余命

「しんしゅうてき(侵襲的)」=体に害のあること。特に切る、刺すといった血を見る場合に用いることが多い。

✖信州✖浄土真宗

「たいしょうてき(対症的)」=目先の症状を取る(原因をとらない)治療。

✖対処的✖対照的  

「ほぞんてき(保存的)治療」=手術など血を見る治療以外の、薬などによる治療。放置のことではない。 

「こそくてき(姑息的)治療」=「こんちてき(根治的)治療」つまりがんの切除手術など根本的治すための治療ではなく、その場の困難をしのぐ治療のこと。例えば大腸がんによって腸閉塞が起こり、痛みと嘔吐に苦しむ状態に対して、一時的に人工肛門の手術で便を出し、急場をしのぐ場合などを言う。そのうえで切除手術などの「根治的」治療に持ち込む。

「姑息」というと卑怯で後ろ向きなことの意味だと思われがちだがそれは間違い。後ろめたさの意味は入ってない。

「せんし(穿刺)」=針などで刺すこと。✖戦士✖戦死

「りゅうち(留置)」=カテーテルやステントなど、治療のために体内にわざと何かを置いてくること。✖警察署に泊まること

「ぞうせつ(造設)」=人工肛門など、元の体になかったものを作りつけること。✖増設

「リンパ節かくせい(郭清)」=リンパ腺を一定の範囲で手術できれいに取ること。

✖覚醒(目覚め)

「ふんごう(吻合)」=切った血管や腸を縫い合わせること。✖飯盒

「ほうごう(縫合)」=傷口を縫うこと。

「かいふく(開腹)」手術=おなかを切って行う手術のこと。✖回復

「かいきょう(開胸)」手術=胸部を切って行う手術のこと。✖海峡

「かいとう(開頭)」手術=頭蓋骨を切って行う手術。✖回答✖解答✖解凍✖怪盗

「そうは(掻把)」=掻きこわしや、掻きとる作業のこと。✖走破

「標準的治療」=がん治療メニューの中で最も良い治療のこと。よく「並」とか「梅」ではないかと誤解される。

「かがくりょうほう(化学療法)」=抗がん剤などの薬を用いた治療のこと。✖科学療法

「むずかしいです」=「それはほぼ無理です」。

挙げていけばまだまだあるでしょう。

 漢字を見ずに耳で聞いただけではわからない同音異義語、そもそも聞いたことの無い言葉、話し手と受け手で込めた意味の異なる言葉など、理解を妨げる理由も様々です。カルテにはよく、医者が説明内容を記録した最後に「以上のことについて、平易な言葉で説明し、同意を得た。」と書いてあります。平易な言葉とは何か?その言葉や表現が「平易」かどうかは、聞く側の知識や状況に左右されます。「ここまでで何か質問はありますか?」「いや大丈夫です。」という問答はあっても、じつは途中でつまずいたまま迷い子になるケースは少なくないはずです。

 昔から、病院は3時間待ちの3分診療と揶揄されますが、手術の前などは説明に1時間くらい費やすことも多いです。訴訟云々を心配する気持ちもなくはないが、それよりも相手にわかってほしいのです。しかしキビしい事を言えば、説明を聞いた後の患者さんに理解度テストをしたらほとんどが不合格でしょう。まあでも、現場においては説明の一つ一つはわからなくとも、「もう任せるしかない」という覚悟や、「一生懸命やってくれるのだな」と真摯さが伝わることで、同意書にサインをいただいているのかもしれません。

 このように、医療現場のコミュニケーションは難しいです。お笑いコンビ キングコングの西野亮廣氏は、ひとに何か説明するときには、相手の知らない単語を2つ以上使ってはいけないと決めているそうです。未知の言葉はいわばイエローカードと同じで、1つ目までは我慢してもらえる。けれど2つ目が出たら即退場というくらい厳しいのだと言います。新しいビジネスを始めようとしても、人に理解されなければ人も資金も集まらないという話です。

 しかしながら、医療の場では知らない単語2つくらいで退場させられたらたまったものではありません。病気やケガ自体が患者さんやご家族にとって「あってはならない」「想定外の」ことであり、それ自体が非日常すぎるのです。しかも多くの場合、意思決定を急かされ、互いの知識の差や感情のねじれもあって、「話せばわかる」が必ずしも通用しない場でもあります。

 理解不足の要因はもちろん言葉だけではありません。誤解を恐れずに言えば、これはお互い様なのです。だからこそ、たった一度の面談で分かったことにせず、理解度や気持ちの揺れについて確かめたり、修正できるチャンスがあればいいのにと思います。「先生、今の言葉何ですか?」と聞き返せるくらいの余裕がお互いにあれば、どんなに楽だろうとため息がもれます。そんな時、分からなかったことは、他の誰かに聞いてもいいんです。良かったらお声掛けください。

Vol.28 緩和ケア病棟の役割についての巻

 当院の緩和ケア病棟はどんな役割を担っているのか。当院は基本的に、いわゆる「急性期病院」であって、すなわち救急車をどんどん受け入れ、どんどん手術をして、ややこしい検査を積極的にするためのところです。地域における基幹病院として、国や県から「地域医療支援病院」「がん診療連携拠点病院」「災害拠点病院」などに指定されています。その中にある緩和ケア病棟です。伝統的なキリスト教系ホスピスなどとは趣が異なります。健康保険制度上の役割は決まっていて、「主として苦痛の緩和を必要とする悪性腫瘍及び後天性免疫不全症候群の患者を入院させ、緩和ケアを行うとともに、外来や在宅への円滑な移行も支援する病棟」と明記されています。

 当院の場合はがん拠点病院という性格上、緩和ケア病棟に入院される患者さんはすべて悪性腫瘍すなわちがん患者さんです。そしてほとんどの場合、最期の場面を過ごされるために利用されています。ところで、当院は202111日に新病院が稼働し、新たな一歩を踏み出しました。将来に向けて、より地域の急性期医療に貢献することが目標となり、特に現在の救急部門を「救命救急センター」に格上げすることが目玉に上げられました。

 その一方で、当院の緩和ケア病棟は従来ほぼ慢性期的なケアを専門としてきました。しかし今後は、上に挙げた役割の中でも「外来や在宅への円滑な移行も支援する病棟」という部分に力を入れたいと考えています。急性期の検査・治療の場から、入院療養にこだわらず、患者さんや家族を円滑に地域の医療・介護スタッフへつなぐことを目指します。

 これには2つの意味があります。ひとつは、コロナ禍が長引く中で緩和ケア病棟と謂えどもご家族等の面会を強く制限せざるを得ない現実があります。よって在宅療養を提案することで患者さんがご家族等と過ごす機会を選択できるようになること。もう一つは、当院の急患や手術が増えることは必然であり、それらの急性期治療が一段落した後の患者さんが入院したままだと、次の急患や手術患者さんが待たされてしまうという事態を避けること。いずれも当病棟、当診療科だけでどうにかなるものではありません。しかし、多職種・診療科と連携し、必ずしも緩和ケア病棟を経由せずとも、患者さんにとって最適な療養場所を提供するお手伝いに関与します。当然、在宅中に気が変わって緩和ケア病棟を希望されてもよいような相談もできます。そのような話し合いを早い時期から進める「アドバンス・ケア・プランニング」ないしは「人生会議」への支援も積極的に関与します。こうした立場や取り組みについて先日、院内の発表会で表明したところです。“緩和ケア病棟経由で再び在宅療養“を選択できるよう、進めていきます。

Vol.27 緩和ケアを受けるには「覚悟」が必要なのか?の巻

 当院の緩和ケア病棟が新しくなったので、ちょっと基本的なことからおさらいしていきたいと思います。比較的最近のできごとです。ある患者さんが緩和ケア病棟へ入院する前に、その息子さんと話をしていました。その方がふと、「親父が緩和ケアを受けるということは、覚悟していたんですけどね・・・」とおっしゃったんです。それを聞いて私は、「やはり緩和ケア病棟に入院するのって、覚悟が要ることなのだな・・・」と、感じました。そしてその方の言葉が、どのような理解に裏付けられているのか想像してみました。

 恐らくその方の中では、「緩和ケアを受けるということ、イコール、緩和ケア病棟で亡くなること」という理解ですね。即ち、もう手の施しようがないから、売られていく子牛のように引き渡されるのだという感覚。治療と緩和は対極にあるという観念。確かに、抗がん剤などの治療が継続できなくなったタイミングと同時に、「あとは」という枕詞(まくらことば)とともに「もう緩和ケアだけですね」などと説明をする医者も未だに多いのですから、患者さんの側に責任はありません。もし、治る(=完治する)ための治療でなければ治療ではない、というのであれば、転移・再発がんに対する治療のほとんどが「治療」ではなくなってしまいます。なぜならその目的が最初から「治癒」ではなく延命とQOLの向上であるから。なのでそれも誤解と言えば誤解ですが、治りたい患者さんの側には責任がありません。

 脱線したので話を戻します。緩和ケアの世話になるということが、もうじき亡くなるということだとすれば、

⇒そんな状態だと認めるのは悲しい。

⇒だから緩和ケア=緩和ケア病棟は、近づきたくない縁起の悪いものだ。

「もうなにもしない」で、「死を待つためだけ」に入るところに決まっているのだから本当は行きたくない・・・。当然そうなりますよね。「そうでもないよ」、と言っても通じません。普段も、よく患者さんやご家族からは冗談交じりで「緩和ケア病棟なんかに入院したら死んじゃうでしょ?」なんて言われたりします。もちろん「入院したせいで死ぬのかい」と笑って返しますけど。

 じつは私もそれほど能天気ではありませんから、一般の方の多くが(いや、医療者もわりと)そのようなイメージを持っていることくらいは知っています。事実、緩和ケア病棟は最後の場面で利用するところ、というイメージは必ずしも間違いではなくて、当院の場合は緩和ケア病棟に入院する患者さんのほとんどがそこで亡くなっていますし、そういう需要に支えられてもいるのです。

 そのような、「緩和ケア=緩和ケア病棟に入ること、であって、その時までは無縁のもの」という閉じた理解。その一方で、緩和ケアのもう一つの側面である、「がんと診断された時からの緩和ケア」という考え方があります。私はそれを個人的に、「困っている人たちを正当に評価して、みんなで助けてあげること」と意訳して理解しています。これについてはWHO、そして国による長年の、繰り返しのキャンペーンにもかかわらず、現場ではなかなか浸透して行かない様子を、私はこれまでモヤモヤした気持ちで見ておりました。かつては「何なら自分が世直ししてやろうか」くらいに思ったこともありました。でも私は、その「世直し願望」をやめてみることにしました。人が何をどう思うかはその人の勝手です。それぞれに事情や成り行きがあり、タイミングがあるはずです。知るためのチャンスを作ることは大切ですが、外から力を加えても決して人の心を変えることはできません。人を変えるのは、その人の中で起こる気付きだけです。

 同業者の中にはこうした私の態度を努力の放棄として捉える向きもあるでしょう。構いません。人は自分から変わりたいと思った時に初めて、変われるものなのです。そして、どう変わりたいかも自由。「今までいろんなことを我慢してきたけれど、覚悟して、甘んじて緩和ケアを受けることにする。」それでもいいじゃないですか。立派な決心だと思います。その覚悟、お引き受けしましょう。いずれにしろ緩和ケアは、患者さんの残り時間の多い少ないにかかわらず、「困っている人たちを正当に評価して、みんなで助けてあげる試み」のすべてです。そしてそれはいつでも、どこでも、だれにでもできることだと、私は思っています。

 どこの場所・病棟でも、専門家もそうでない人も、それぞれの役割を感じて果たそうとすることがだいじだと思います。言い方を変えると、緩和ケアとは、みんなが誰かの良き隣人になること、というのが私の理解です。その中で緩和ケア病棟という場所も、患者さんの経過の途中や終着点で関わる、ひとつの場所に過ぎません。次回は緩和ケア病棟の役割についてお話しします。

Vol.26 緩和ケア病棟 お引越しの巻

 2021年1月1日、当院は現在の場所に移転しました。私たちの緩和ケア病棟も、当日は3名の入院患者さんとともに約半日で一気に「引越し」したのです。元旦に引っ越しをするという経験は、たぶん後にも先にもなさそうな気がします。その日の写真を貼りましたのでご覧ください。

 

Vol.25 「コロナ禍」と緩和ケア病棟の話

 実に8か月ぶりの更新です。このコラムは、急性期病院における緩和ケアについて考え、またあまりなじみのない皆さんにそれを知っていただく情報発信の場としてやっております。それがこのところすっかり滞っておりました。一番の理由は私の怠慢にあるのですが、今般の「コロナ禍」というのを言い訳に使わせていただくことにします。

 さて、当院は例の横浜港へ寄港したクルーズ船の頃からその感染症と関わっている「老舗」です。当時は初めてのことばかりでだいぶ踊らされました。初めから人手は足りていないのですが、市中で流行り始めてからは一気に物資の不足にも見舞われヒヤヒヤしたものです。そのコロナ対策の一環として、我々の緩和ケア病棟が2020年2月末から約4か月にわたって感染症病棟に接収・転用され、使用できなくなるという事態にも見舞われました。幸いこの7月からは感染症病棟とは完全に分離した形で再開し、現在に至ります。ただ再開はしたものの、完全に元通りではありません。それが今回のテーマです。健康保険のルールで定められている「緩和ケア病棟」とは、がんなどの病気により生じる痛みなどの「症状」が特に辛くて通院できない場合に一時的に入院させ、ある程度症状が落ち着いたらまた自宅に返すという利用状況を、主に想定しています。抗がん剤治療中の方も行ったり来たりが可能です。

 しかし、実際に利用を希望する患者さんは、病状が進行して「いよいよ」自宅で過ごすことが難しいときに、「もう帰れないこと」も想定に入れて入院するという方がほとんどです。当院の場合は、制度と現場のニーズがちょっとずれているんです。それはともかく、患者さんが「いよいよ」と思って入院したら、そういう時期だからこそ、ご家族との面会ができることも大事な要素になります。ところが、他の多くの病院と同様、当院緩和ケア病棟においても厳しい面会制限を行っているのです。

 従来も季節性インフルエンザの流行期などには、病院全体の面会制限に合わせてある程度の制限は行っていましたが、今回は全病院的に原則全面禁止です。本来、患者さんの苦痛は身体だけに留まるはずもなく、ご家族などと触れ合うことで癒される部分が大きいのにもかかわらず、です。このことについては専門家の間でも、病院が提供すべき緩和ケアの「敗北」を意味するという厳しい意見もあり、本当に悩ましいところです。また、リスクに対する認識も各人で大きな開きがあり、正解もなければコンセンサス作りもできないのが厄介です。その一方で、当院自体が感染症診療の指定病院という位置づけであること、また、地域医療の中核をなす存在であることも無視できません。この原稿を執筆時点で市中感染が急速に広がっている今、いったい誰が感染源となるのかすら区別できません。

 世間では広く勘違いされていますが、思い付きでPCR検査をして陰性が出ても、不感染の証明ではありませんから何ら安心材料になり得ません。そんな中で、ご面会のご家族やご友人の幅が広ければ広いほど、「持ち込み」の感染機会が増えます。患者さんは言うまでもなく抵抗力が弱い。さらに、我々職員の中にたまたま市中感染からの持ち込みが生じれば、あるいは面会者からの感染が発生したら、その部門の職員はゴッソリ自宅待機で抜けて一定期間閉鎖や業務縮小の措置が取られるでしょう。緩和ケア病棟のように小規模の部門などひとたまりもない。

 そうしたことは起こらないほうがよいが、同時にすべて想定内です。「絶対安全」など絶対にないけれど、これは敗北主義ではありません。入院中の患者さんと職員をいかに守るか、院内発生の感染をどう防ぐかがとても大事なのです。直接会っていただけない代わりに、スマホなどを使い慣れない方にもネット端末を利用してWeb面会だけでも病院で用意できないか検討していますが、当院には元々Wifiのインフラさえありません。予算も大変厳しいので実現する日は遠いと思います。

 仮にワクチンが実用化されてもそれでコロナが消滅してくれるわけがありません。つまり、モヤモヤはこれからも続くと思います。世間の関心の浮き沈みに関係なく、メディアが煽る恐怖や呑気とは異なる緊張感の中に、私たちはずっと居ます。医療者を持ち上げてくれなくてもいいので、現場の人とお金と物資が途切れないように、静かに、誰かが支援してくださればと切に願います。

 そんな中、緩和ケア病棟は今日も営業中です。今も原則面会禁止ですが、患者さんの状況に配慮しながら臨機応変に工夫しています。この件についてお問い合わせいただいても、対応は流行状況や患者さんの個別性で変わりますのであらかじめご了承ください。現時点での状況をここに記しておきます。

Vol.24 団塊の世代と2025年問題の話

 最近、音楽家の細野晴臣デビュー50周年を記念する展覧会と映画を続けて見る機会がありました。細野さんは昭和22年生まれの72歳。まさに団塊の世代です。細野さんと言えばYMOでの活躍が有名ですが、私の世代にとってはそればかりでなく、少年時代を彩った日本のあらゆる歌謡曲、アイドル、映画、笑いといったメディア全般で陰に陽に彼の影響を見ることができました。とくに細野さんのいたバンド「はっぴいえんど」とそのメンバーのその後の活躍は、今の日本のポピュラー音楽の礎と言っても過言ではありません。

 ところで「団塊の世代」という言葉には定義があって、昭和22年から24年生まれのことを言うそうです。厚生労働省の人口動態統計によれば、この3年間の出生数は約806万人でした。最近においても2018年の人口推計で約625万6000人であり、全人口の約4.9%を占めています。団塊世代はその人口の多いことから、高校や大学を卒業しても地方では就職先がなく、多くの人が都会を目指して集団就職しました。そしてその後は同期の間における競争が非常に長く厳しい世代でもありました。田舎の貧しさや、地縁・血縁のしがらみから逃れる自由を得ながら、高度成長を支える働き手になり、大量生産・大量消費社会としての日本を作り上げた人々です。彼らの考え方は概ね保守的で、画一的であると言われています。

 その一方で、社会正義や政治への関心が強い学生たちは過激な運動へも向かいました。彼らは戦前とは全く異なる価値観で育てられた第一世代であり、自分たちより前の世代にはお手本がないがゆえに、手探りのことも多かったでしょう。現在のように日本の社会が固まらず、何でもありの時代を生きてきた人達には、特有の存在感があります。そんな中、細野さんは、生まれも育ちも東京の真ん中で、ひたすら好きなことを追求してきた人です。敗戦と占領政策の恩恵として、自由を手にしたことが、彼の人生を決定づけたと言えます。最近は、アメリカなどの古い音楽を今に蘇らせるような演奏活動をされています。その姿は、肩の力が抜けていて実にかっこいい。

 さて、その団塊世代ですが、今も日本の社会を動かす存在あることに変わりはありません。今や彼らが大挙して後期高齢者に突入する時期を「2025年問題」と名付けて、国を挙げてあたかも大災害を迎え撃つかのような体制をとりつつあります。そういうと、どうしても相手を集団としてとらえてしまうのですが、実際のところ、細野さんの例を挙げるまでもなく、人それぞれです。一人ひとりにとってみれば、その人生の成り行きは一筋縄でなかったはず。

 今や若い世代からは何かと揶揄されることさえある団塊の世代ですが、大勢で列車に乗って都会を目指そうが、流行っていた長髪を切って会社員になろうが、音楽家になろうが、元から望んだか否かに関わらず、一人ひとり「そのように生きるしかない」人生を歩んできたのだと思います。一人ずつみな違う価値観や希望というものを、医療に反映させるための工夫にはきりがありません。そして私たちが後期高齢者になるときにも、敬意をもって受け入れられたいものです。たとえ細野さんのようにかっこよくはなくとも。こんな話が緩和ケアと関係あるかって?これまた大ありですよ。

Vol.23 コミュニケーションの話

 先日行われた病院内の勉強会で、医者になりたて一年目の研修医が、患者さんやご家族とうまくコミュニケーションが取れないという悩みをテーマに発表していました。さすがに私くらいの年になれば、若いことを理由に患者さんが引いてしまう恐れはありませんが、自分の研修医時代を思い起こせば、自分が患者さんから「ナメられて」いるんじゃないかという不安は納得ですし、ある意味ナメられて当然でもあります。とはいえ研修医が自らコミュニケーションをテーマに勉強会を組むなどということは、一昔前では考えられませんでした。そうした悩みは個々の心の中に埋もれ、それを公に言挙げすることは何となくはばかられるものでした。今の若い人はすごいと思います。

 ところで、昔から言われていることに医師と患者の間のギャップがあります。ギャップには二つの意味があると私は思います。まずは情報の格差。専門家と患者さんでは医学や医療に関する知識に大きな差があるという意味ですが、インターネットが発達した現在では、持っている情報の格差は昔に比べてとても小さくなったと言えます。実際、特定の病気の治療法などについて、患者さんの情報収集力に舌を巻くことがあります。まあ、情報を俯瞰した経験値の部分では、自分のことだけに一生懸命な患者さんに比べて医師の方が立場的に有利かもしれませんが。

 そしてもう一つ、乗り越えがたいギャップがあります。お互いの思い違いです。それはあらゆる場面、あらゆる形で現れるので一言ではくくれません。無理やり言うならば、どちらも相手が自分と同じ土俵に乗っているという、決定的な勘違いです。そもそも話の前提となる常識や枠組みの段階で全く異なる者同士が、病気という目の前の危機について走りながら結果を出そうというのですから、無条件で通じ合えているはずはないのですが、なぜかいつも互いにそれを期待し、裏切られると心外に思ってしまいます。

 最近、こうしたすれ違いについて書かれた「医療現場の行動経済学―すれ違う医者と患者―」という本を読みました。どうやら患者さんの側だけでなく、医療者の側にも様々な一方的な思い込み:「バイアス」が隠されているということが、いくつかの研究で明らかにされているようです。以前書いたように私はネガティブ志向なので、おそらくその勘違いが解消されることは永遠にないだろうと思います。

 しかし、すれ違いの仕組みについて徐々に理解が進み、お互いがそれについて学べば、回避できるはずの「がっかり」をだいぶ減らすことはできそうな気がします。そのためにも、コミュニケーションに関する日常のモヤモヤを、自分の胸にしまわずに議論する場を作っていくことが、私たちの仕事なのかもしれません。今回は研修医から、そんなことを教わりました。

Vol.22 第50回市民教育公開講座の話

 9月30日に第50回市民教育公開講座が開催されました。テーマにはアドバンスケアプランニングが選ばれ、私が座長を務めました。今年度のACPに関連するイベントの締めくくりとなる催しでした。最初に川崎市立井田病院 腫瘍内科医の西智弘先生に「アドバンスケアプランニングを知っていますか?」と題してご講演頂きました。ここでは、アドバンスケアプランニング(ACP)という概念が生まれた歴史的な経緯、ACPとは、人の「死」ではなく「生きること」に焦点を当てて話し合うプロセスであること、そして、自分が暮らす地域で自分らしく生きるための支えとして西先生が病院の外で行っている「暮らしの保健室」という活動についてもお話しいただきました。

 また、これに引き続いて後半のパネルディスカッションの冒頭では藤野在宅緩和ケアクリニックの石橋了知先生が中心となって藤野町で行っている移動式の「保健室」活動についてご紹介いただきました。地域が違えば異なった取り組みができることの実例です。当院からは波多江医療相談室長から、急性期病院としての相模原協同病院におけるACPの取り組みについて話してもらいました。会場には200名を超えるお客様にご来場いただきましたが、皆さんとても熱心に聞いてくださっているのが壇上から見ていてよくわかりました。

 ふと思ったのですが、ACPって、まるでカーリング競技に似ていませんか?あなたがティー(ゴール)に向けて投げたストーンを、みんなで「そだねー」と目標を共有しながら、そしてハラハラしつつも進路を修正してく作業です。そのためのチーム作りをACPと呼ぶのだと思います。ですからあなたにとって「私のゴールはあの辺」という気持ちを誰かに話して共有することが出発点です。そのゴールは時々変わってもいい。なぜならそうしたいと思うあなたの気持ちの底辺に流れるものこそが、ACPのエッセンスだから。話す相手は家族や親戚、近所の人でもいいし、病院や介護にかかわる人たちでもいい。

 そして今回とくに印象的だったのは、そのつながりの輪は必ずしも地縁血縁に囚われず、はじめは見も知らぬ、趣味や嗜好の合う人たちとの助け合いでもいいという西先生からの提案でした。自ら地域で活動し、SNSで毎日膨大なアウトプットを続ける人ならではの発想だと思いました。とても現代的かつ都会的な、そして現実的な考えだと思います。その中で、私たち医療者の役割は、患者さんとして付き合うその人の希望を実現するための「チームの一員になること」だと思いました。

 その一方でACPにとって大事なのは、街場でふつうの人が、気がかりや心配事を気軽に相談できる場所を持てることなのではないかとも思います。コーヒーでも飲みながら、ため息をつきながら・・・。慌ただしい病院でするべきこと、地域で一緒にやっていくこと、それぞれに役割はあるはずです。この度のイベントをとおして色々と考えました。ご参加くださった皆様、開催にご尽力いただいた皆様、ありがとうございました。

Vol.21 「する」と「される」の間の話

 これまで数回にわたりアドバンス・ケア・プランニング(ACP)について紹介していますが、私たちの仕事の中で、ACPは広く「意思決定支援」という事柄に含まれる内容です。今回はその、人間の「意思」なるものについて軽く触れてみましょう。

 意思と似た言葉に「意志」があります。使い分けはややこしいですが、辞書を見るとどちらかと言えば「意志」の方が個人の志(こころざし)や方向性を示すのに使われ、意思の方はややふんわりした「思い」や傾向を表すのに用いられるようです。ここではこだわらずにおきます。現代は法律も制度も、人にはそれぞれ固有の「自由意志」があるという前提で世界が動いています。何かをする人とされる人、加害者と被害者といった、「能動態と受動態」の対立構造で作られた世界観です。ある行為に対して責任を問う先がないと困るからです。

 そんな中、能動でも受動でもない「中動態」という存在について考察した本があると知り、読んでみました。題して「中動態の世界 意志と責任の考古学」。実に興味深い内容でした。言語学について書かれた本ですが、まず、人がものを考える枠組みは言語の枠組みで規定されてしまうということに驚かされました。そして歴史の流れの中で、昔は存在した「中動態」が現在の言語の枠組みから抜け落ちてしまった経緯が、まるでミステリーのように展開されます。詳しくは紹介しきれませんが、私はその「歴史の旅」に付き合う感覚にワクワクして一気に読んでしまいました。

 私たちは自分の、あるいは人間の意志というものが、まっさらな白紙の状態からゼロベースで発生したオリジナル作品だと思いがちです。しかし、これまで古代ギリシアの時代から哲学者や思想家が盛んに自由とは何か、自我とは何かといった思索を繰り返してきたものの、どうやら人の意志はその都度完全なオリジナル作品でもなさそうだ、というところへ話が繋がっていきます。人にはそれまで過ごした時間や人との関係性から完全に独立した自由な自我、などというものは事実上存在しないというわけです。本書によれば人は誰も完全に自由ではないと言います。そして「完全に自由になれないということは、完全に強制された状態にもならないということである。中動態の世界を生きるとはそういうことだ。われわれは中動態を生きており、ときおり、自由に近づき、ときおり、強制に近づく。」というのです。

 言われてみれば日常の私たちは、完全に自発的ではないけれど、かといって強制されているのでもない、そういう意思決定を数多く繰り返しながら生きている。そんな流動的で主体のはっきりしない私やあなたが、関係を持ちながら毎日を過ごしています。「あなたはいったいどうしたいのか?」そう問い詰めることばかりが意思決定ではないのだと、改めて気付かされた思いです。ちょっと気が楽になりませんか?

Vol.20 うまくいかないときの話

 さて今回は、アドバンス・ケア・プランニングがうまくいっていないと、どんなところで損をする可能性があるか、いくつか例を挙げてご説明するつもりでした。でもどうでしょう。いくら必要だからと言って、「将来、意思表示がうまくいかず、こんなになったら怖いでしょ?」などと半ば脅されて、渋々相談を始めるのって、違う気がするのです。私は生来ネガティブ思考のようでして、心配ばかりで結局何も行動しないということを繰り返しながら生きてきました。恥ずかしいことです。でもその分、「こうなったら嫌だな」という想像力に関しては、一日の長があると言えなくはない。しかし、アドバンス・ケア・プランニングについて、一人ひとり正解は違うものです。

 前回まで、あれだけ「アドバンス・ケア・プランニングに取り組むことは大事です」といったトーンで書いておきながら、話が違うじゃないかというご指摘は、ごもっともであります。けれど、先に起こるあらゆることを全部、今のうちに決めておく、なんてことできるわけがありません。だって未来のことですもの。わからないことを前提に「何も言わずにおくよりは、話し合って大体その辺りに着地できるようにしておく」、その程度のことであるにも関わらず、みんな一律に猫も杓子もやっておけというのはおかしい。

 そんなことをつらつら考えるにつけ、病院なり医者なりが、患者さんや家族の「ためを思って」あれこれ気を回してあげることは、あなたにとって常にありがたいことでしょうか?それは往々にして「ありがた迷惑」に陥っていないだろうかと自問自答するのです。あなたは「よくわからない」から、いろんなことをよく知っている病院の人のおススメが一番いいと思いますか?「まずは話し合いのテーブルにつけ」という前に、「そういう話し合いが、自分にも必要かもしれないな」と気が付くことのできる人を、ひとりでも増やすことの方が大事なのではないかと。思うのであります。前回もご紹介しましたが、2019年9月30日 市民教育公開講座(一般市民向け)において、アドバンス・ケア・プランニングをテーマに講演会とディスカッションを予定しています。ぜひご参加ください。

Vol.19 逆風なのか追い風なのかわからない話

 突然ですが、あなたは自分の余命について考えたことがあるでしょうか?

ほらまた、そんな話を始めるから、緩和ケアの医者は「死神」みたいな存在になっちゃうんですよね。「縁起でもないから近寄るな」って。ちがうんだけどね。余命?若い人はほとんど考えないでしょうね。私などは前半生をほとんどボーっとして生きてきたので、ある程度年齢を重ねてから、家族を持ったり、身近な人を亡くす経験をして、何となく生命のサイクルみたいのものを体感的に意識するようになってきました。

 ところでこの、「余命」というものについては、それを口にする医師とそれを聞いた患者さんの側で受け取り方が大きく違うものです。しかもこの余命の予測自体が案外当てにならないことは以前ここでも書いたと思います。では、自分の余命が病気のためにあと1年くらいかもしれないとしたら、人生の終わり頃にどんな風に過ごしたいか、あらかじめ相談しておきませんか?

 今回のテーマも先日取り上げた「アドバンス・ケア・プランニング(ACP)」の話の続きです。私はそれがいいことだと思っているので、何回か取り上げていこうと思っています。それに、院長からは今年度、「ACPを広めていこう 」とお達しを受けていますから。ですが、いいと思っていることがそのまま実現するほど現場は単純ではありません。アドバンス・ケア・プランニングという考え方自体は、中身を知れば誰もがその必要性を納得できるものです。誰だって、人生もいよいよ大詰めというときに、好きなところで嫌なことをされずに過ごしたいですよね?しかし、社会にとっていかに必要で、異論が出そうもない物事でも、当事者にすんなり受け入れられるかといえばそこは別の話になります。

 厚生労働省がこれからの人口動態や財源を心配し、地域医療構想を練り、医療従事者に働きかけても、現場で毎日「今この時」の諸問題に手一杯の医療者や患者さん・家族にとっては「ありがたい念仏」くらいにしか感じられないであろうことは想像に難くありません。特に病院では、ただでさえ慢性的な人手不足の現場に、外から新しい仕事が増やされることへの抵抗は免れません。しかも結果がすぐに見えない相談ごとです。

 患者さんや家族も同じです。「先生に呼び出されたから、家族も仕事休んで来たのに、意識不明になったときの相談なんておかしいじゃないの?私は病気を治してもらうために病院に来ているのであって、死ぬための相談に来てるんじゃない!患者の希望を奪わないで欲しい。ここは葬儀屋か!」。病院は患者さんに生きててもらわないと儲からないのにひどい言われようです。ACPの取り組みを先行して行った英国の研究では、話し合いの提案に応じてくれた患者さんの割合は35%だけだったと言います。やはり楽しい相談ではありませんから。

 医者にしても、あえて患者さんの機嫌を損ねる危険を冒してまで、限りある時間を使いたくはない。しかも予約の人たちをたくさん待たせたまま、下手すると30分~1時間コースの相談ごとなんて始められません。つまり、ACPに対しては現場の風はおおむね逆風といっていい。正確には、「余裕があればやりたいが、今はとてもそんな余裕はない。」頭が痛いです。ある時、私がそんな心配を口にすると、これまでいくつもの案件に対峙してきたこの業界の先輩は言いました。「確かに大変だけれど、行政が上から動いているということは、追い風と思って頑張りましょう。」追い風!ですよ。追いガツオに追い銭と並んで何とも景気のいい言葉じゃないですか。いただきました。この追い風の中、地味に策を練りたいと思います。

 以上、今回は心配とぼやきで終わります。次回は「ACPがうまくいかないとどうなる?」というテーマを予定しています。尚、当院ではアドバンス・ケア・プランニングについての勉強会を予定しています。

6月7日 第12回 相模原北部摂食嚥下研究会(医療従事者向け) 
6月12日 第20回 桑都地域連携の会(医療従事者向け)
9月30日 市民教育公開講座(一般市民向け)

Vol.18 自分の存在を肯定できない辛さの話

 今ではあまり流行りませんが、私は小学生の頃からラジオが好きで、もう数十年になります。最近は全国のラジオ局がインターネットで聴けるうえに、聞き逃してもあとからネットで聴き直せるので便利です。先日もある番組を放送後に知ってあとから聴いて、心を揺さぶられる経験をしました。それは「SCRATCH 差別と平成」という番組でした。

 あなたは2年ほど前に「やまゆり園」で起きた事件を覚えておいででしょうか?その番組は、重い障害のある息子さんを持つ放送記者が、その事を相手に明かしたうえで、収監中の被告に対し4回にわたってインタビューした内容が中心でした。「意思疎通のできない人間は社会のお荷物だから安楽死させなくてはならない」という容疑者の特異な考え方の背景には、彼自身が「社会の役に立たない人間である」という劣等感があり、あの事件を起こしたことで「役に立つ人間になれた」という、一種の達成感を得ていたようです。それを聞いた私は率直に「なるほどな」と思いました。番組でも触れていたように、昨今は「生産性の低い人間は要らない」「稼げない人を税金で養うなんて許せない」といった生産性至上主義が、ここまで人々の頭を支配してしまっていたのかと。でも、そう言った考えの芽は、案外身近な人の中にもあることを私たちは知っています。

 病院という場所には、病気やけがにより体に障害を負ったひと、生まれつき何らかの不自由を抱えた人がたくさん訪れます。そんな人々の中には、それまで何不自由なく暮らしていたのに、ある日発覚した病のために、身体の自由が奪われることに戸惑うことが少なくありません。そこではどうしても「こんな体のままで生きていたくない」「人の世話、家族の重荷になりたくない」という思いに囚われやすくなります。これらはともすると、一時の気の迷いとか落ち込みと片付けられてしまいがちです。でもこれは、その人が生きる意味そのものを問う根源的な問いかけなのです。自ら信じてきた価値観に縛られて、自分の存在さえ認められなくなるなんて、とても残酷なことです。
  
 悲しいことに、完全さを失った自分を責める論理は、「役に立つこと」にしか価値を見出せないという点で、障害者の存在を敵視する論理と根本では同じです。価値観は多様でいいのですが、自分自身の存在価値を認めてあげられないことは、そのまま鋭い刃(やいば)となって、時には人を、時には自分をも傷つけるのですね。もしあなたが、社会の役に立たない、つまりお金を生み出さない人間には価値がないと考えるなら、上にあげた患者さん達は早々に居なくなるべきでしょうか?それが仮に自分でも、あなたの家族でもそうでしょうか?あなたも私も、いつ何時(なんどき)そのような立場になるか分かったものではないのに。いいえ誰もが、ただ年老いただけで人の世話にならなければならないというのに。

 冒頭で紹介した番組では最後に「世の中には既に障害を持った人と、これから障害を持つ人の二つしかない。」と結んでいました。その通りだと思います。私たちにできることはいったい何なのでしょうか?少なくとも私たちの仲間は、いま目の前に生きる意味を見失った人がいたら、わずかな力かもしれませんが、それを取り戻すためのお手伝いができればと思っています。それは仮に我が国で安楽死のプロセスが法制化されたとしても、必要な働きかけであり続けていくはずです。

Vol.17 何回も繰り返す話し合いのお話

 選択肢はたくさんあればといいと、普通は思いますよね?例えば、米国式の飲食店ではサンドイッチひとつ頼むにも、パンの種類、具の種類といったことを瞬時に事細かに指定してやっと受け取ることができます。アイスクリームだってそう。フレーバーは?サイズは?トッピングは?コーンは?「もういいから普通のをください(笑)。」一回の食事なら失敗しても笑い話ですが、病院で受ける治療の選択となれば話は別です。

 少し前のニュースでは、ある病院で、医師が患者さんに人工透析の治療を受けるかどうかを提示し、患者さんは受けない選択をしてじきに亡くなった。しかし亡くなる直前に「やはり透析を受けたい」という意思表示があったのだ、というような報道がありました。これを書いている時点で詳細は分かりませんが、仮に一度決めたことでも、ひとの気持ちは揺らぐものだ、という観点でお話をしたいと思います。

 さてあなたは、「人生会議」って聞いたことありますか?では「アドバンス・ケア・プランニング (Advance Care Planning)」はどうでしょう。私たち医療者の間では「ACP」と略すことが多いです。「人生会議」という愛称は、厚生労働省が有名なコピーライターなどを招いた有識者会議でひねり出したものだそうで、正直私にはしっくりきません。それはそうと、今どきは「終活」流行りだそうですが、この「人生会議」とは要するに、「終活」の一環であり、人生の終わりの時期にどのように過ごしたいかという事について、より具体的に話し合って決めておきましょうという取り組みのことです。

 話し合いの内容には、あなた自身の気がかり、価値観や目標、病状や予後(余命)についての理解、治療や療養に関する希望などが含まれます。また、話し合いにはご家族や医療者、介護福祉関係者も入ることができます。より詳しい終活、といったところです。あらかじめそのような話をして、みんなが共有していれば間違いないという事になるはずです。いいことばかりのようですが困難もあります。まず、いつその話し合いを始めるか、だれに関わってもらうか、病状の変化は予想通りにいかない、といったことのほかに、そもそも自分が死ぬ予定についての話などしたくないといった感情や、ものごとの理解力や判断能力が人それぞれであることなども支障になるでしょう。

 そして、みんなで精一杯想像して決めたのに、本人の気が変わると台無しになりかねないという大問題にも直面します。冒頭の例に沿えば、サンドイッチの具をチキンと決めたのに、出来てから「やっぱりハムに替えてくれ」といった具合に。そうなんです。人間は気が変わるんです。特に、医療の現場では、ある治療をした場合としない場合の違いについて、どれだけ時間をかけて説明しても、患者さん本人には経験はないので、想像で決めるしかありません。ましてや、時には寿命と引き換えみたいなことを割とすぐに選んで決めなくてはならないわけですから。想像のつかない未来について急いで、無理やり想像して決めた方針と、実際に症状などを体験してからの選択は、同じではないかもしれません。

 それは老いも病も正確には想像できないからです。それを医療者の側が、「一度サインしたのだからもう後戻りはできないよ」決めてしまえば、大変窮屈なことになってしまいます。だから、「あの時はこう思ったけど、今は違うんだ」と言えるチャンスをみんなで用意しなければなりません。私たち医療者の側も、これから試行錯誤です。今年度前半は、当院でも「アドバンス・ケア・プランニング」/「人生会議」についての勉強会を複数回開催する予定です。それぞれの企画に私も関わります。

6月7日 第12回 相模原北部摂食嚥下研究会(医療従事者向け) 
6月12日 第20回 桑都地域連携の会(医療従事者向け)
9月30日 市民教育公開講座(一般市民向け)

 それぞれいろいろな立場からの経験を踏まえた取り組みを話し合ったり共有したりする機会にしたいと思います。医療従事者向け、一般市民向けとありますので、ご興味のある方は、それぞれのリンクから情報を取っていただくとよいと思います。

Vol.16 専門・認定看護師とチーム医療の話

 お気づきかもしれませんが、当院にはあちこちに専門・認定看護師が配置されています。

 感染管理や手術看護、糖尿病看護などがあり、私たちのがん治療や緩和の領域では、がん化学療法看護認定看護師、皮膚・排泄認定看護師、がん疼痛認定看護師、緩和ケア認定看護師、がん看護専門看護師のかかわりが深いです。それぞれの専門領域を特別に勉強した専門家ということです。

 今日は私の考えで決めつけてしまいますが、彼らの主な役割は2つです。すなわち、現場で働く一般の看護師に自らの背中を見せてその領域の手本になること、そして、現場に向けて教育を施すことでみんなに自信をつけていくことです。

 さらにそうした活動のできる人材というのは、チーム医療の要(かなめ)の役割も担うことになります。チーム医療とは、たくさんの異なる職種をある目的のために束ねて、フラットな関係を作りながら患者さんに対して結果を出していくというものです。かつては医師が常にリーダーでなくてはならないという期待や自負がありました。

 しかし、ときに医師の存在は権威的になりがちでフラットさが保てず、多職種の創造的な活躍を妨げることにもなりかねません。そんな時に、医師の仕事も理解しながら、同時に患者さんの近くに寄り添うことができるという点で看護師の存在が際立ちます。中でもそのチームの関わる領域に詳しい専門・認定看護師は頼りになる存在となるのです。

 一般に、お仕事はジェネラリストとスペシャリストの協働やバランスが大切です。当院にもう少し人手の余裕があれば、彼らが現場にとらわれず、より裁量をもって側面支援ができるようになり、みんなが活き活きした病院になれると思います。新病院向けての私の期待です。

Vol.15 クオリティ・オブ・ライフ(QOL)の話

 ある調査によると、日本人は大人になるとあまり音楽を聴かなくなるそうです。そういえば私の場合は、映画をあまり観なくなりました。最近はその気になればネット配信やレンタルのおかげで気軽に観ることができますが、映画館となると時間に縛られることもあり、敷居が高いのです。そこで意識して久しぶりに何回か映画館へ行きました。まずは一時期話題になった「ボヘミアン・ラプソディー」。ほぼ同時代にクイーンを聴いていた世代の私は、ストーリーの超シンプルなまとめ方に驚きましたが、フレディ・マーキュリーの生命の発露の仕方や、マイノリティであることによる葛藤を昇華させていく様が素晴らしかったです。

 次は「アリー/スター誕生」です。ド派手なイメージだったレディ・ガガがじつはとてもチャーミングで、終わる頃には好きになっちゃいそうでした。べたべたのラブストーリーが吹っ飛ぶくらい歌も素晴らしかった。自分も彼らのように、ひと目や常識にとらわれず、もっと正直に、生々しく生きていいのではないかと頭を揺さぶられて帰ってきました。

 そしてもう一つが「がんになる前に知っておくこと」という映画です。これは、ある若い女性が、いま日本で活躍しているトップレベルのがん領域のエキスパート達に、がんを正しく知り、がんとつきあっていくことのイロハについてインタビューしたのをまとめたものです。その中で、全くの素人さんである彼女に、ある先生が「クオリティー・オブ・ライフって、聞いてことありますか?」とたずねたら、「人生の質っていうことですか?」と返していたのが印象的でした。通常、私たちの業界では「生活の質」と訳して用います。訳し方でずいぶん印象が違いますね?例えば、患者さんがひとりでトイレに行けるようになったとか、痛みで動けなかったのが治療でよくなったら「クオリティ・オブ・ライフ(QOL)が改善したね」、といった使い方をすることが多いです。でも、本来の英語の「ライフ」の意味はもっと広いはずです。私たち医療者が患者さんと接するのは病気の時だけです。けれどその患者さんには今までも、これからもその人の人生がある。なのに、患者さんの立場になったとたんに「患者さんとしての人生」が始まってしまうと誰もが感じているのではないでしょうか。

 当院のようながん拠点病院では、病気のせいでその人らしい人生が途切れないように、あるいは一度は失いかけた自分の人生を取り戻すために、いつでもドアを開けています。その窓口の一つが緩和ケアでもあります。クオリティ・オブ・ライフとは、まさに「人生の質」、「生きざまの質」のことに他ならず、私たちの仕事は、それをどうすれば失わずに生きていけるかという闘いでもあります。病気や治療の辛さを最小限にするためには何が必要か、治療や療養を続けながらご家族との日常をどうやって保つのか、そういった気がかりや心配を受けとめるところからすべては始まります。

 映画の中のフレディやアリーのようにドラマチックではなくとも、あなたやご家族が病気を得ても、それまでの価値観や生き方を諦めてしまうことの無いように、時には病を得たことからの気付きにも寄り添えるように、支援したいと思います。ですから、あなたにも、ぜひ普段から遠慮なく「正直で、生々しい人生」を生きてほしいと願います。ちなみに私がそれを欲望通りにやると、かなり面倒臭いおじさんになりかねません。そこは気を付けたいと思いますが、それも含めての私なのでなんとか周りに受け止めてもらおうと思っています。

Vol.14 平成最後のチャレンジの話

 昨年は何かと「平成最後の」という枕詞が流行りました。そんな最中、年末に立ち寄った書店でこれまた流行りの占い師の本が平積みされているのを手に取れば、私の2019年は「チャレンジの年です」と書かれていました。この歳になりますと、公私ともに何かと澱も積み重なって、「もう面倒だから早めに消えちゃってもいいかな」などと脳裏に浮かぶ事もあるものです。なのに、なぜ今チャレンジ?と、ちょっとした可笑しみを感じてつい買って帰りました。そこで新年気分も手伝って人並にあれこれ抱負じみた事を挙げてみたりもしました。なのに、図らずも最初のビッグチャレンジは、何と仕事を休む事でした。

 私の診療科は医師ひとり体制なので休めば代わりは居ません。相方の専従ナースに頼りきっても自分が休めば難しいことになります。だから風邪をひいても親が死んでも休まない、を通してきました。ところが先日、余りに体調が悪いのでまさかと思って検査をしたらインフルエンザA型陽性が出てしまい、その場で強制帰宅と出勤停止を喰らいました。まあ結果は予想していたし、エイヤと思ったところがチャレンジだった訳なのですが。

 ほぼほぼ1週間現場を空にした後で分かったのは、「なんだ、休めばよかったんだ」という当たり前のハラ落ちに過ぎません。症状ピークの3〜4日間、トイレと補給以外小さくうずくまって寝ているしかないのには閉口しましたが、休むことに気負う必要なんてなかったじゃないかと気付いた事の方が大きかったです。この間、特定の仲間達に急で大変な負担をかけてしまい、また外来予約ドタキャン等でご心配をおかけした皆様には深くお詫び申し上げます。しっかり休めたお陰で、周りへの感謝も深まり、変な自己憐憫も不要な事がハッキリしました。

 吉凶の別れるチャレンジは、やってみなけりゃ分からない。ここで得られた体験は、今まさに旬である働き方についての議論に関する、私の従来の考えをより確かなものにしてくれた事は間違いありません。その辺のことはまたの機会で。

Vol.13 緩和ケア病棟の入院期間についての訂正とその周辺の話

 以前のコラムで、当院の緩和ケア病棟は3か月入院ができますと記載していました。その後少し変更を行いまして、特に期間は設けないという形になりました。それにはちょっとした事情があります。こちらとしては「他と違って3か月も入院できます」というつもりで表示していました。ところが、入院を希望する患者さんの中には「3か月しか入院できないのなら、遠慮します。」という人の多いことに気が付いたのです。そのため、病気による症状が強く、今こそ私たちが手をかけてあげたい患者さんが入院できないという事態を招いてきました。過去の実績を見ると、当院緩和ケア病棟の平均在院日数は大体34日くらいです。3か月もいない人がほとんどなのです。どうかつらい時期を適切な、希望通りの場所で過ごしていただきたいと思うばかりです。

 

 ところで、日本の医療は健康保険で細かくルールが定められています。病院ごとの役割もあって、協同病院が単体で患者さんのすべてのご要望に応えてあげることはできません。たとえば、一人暮らしでご高齢の患者さんが、体が不自由になったから不安だ、という理由で病院に永住できるかといえば、それはお引き受けできない相談です。

 戦後日本は、高度成長で豊かなお金を前提とした制度を作り上げました。その結果、病院のベッドで人が亡くなることが常識となったことも事実です。しかし今や超高齢化社会で、経済的には右肩下がりです。健康保険から提供できるベッドには限りがあります。その結果、国の政策として、人件費や設備に多額のお金を必要とする病院という装置を、どうしても必要な時にだけ利用するという方針に舵が切られたのです。健康保険制度が充実した結果、誰もが気軽に、外国に比べて極めて安価に、好きな病院で長く世話になれることの旨みを知ってしまった私たちには、既得権を奪われたような、世知辛い、嫌な話ですね。

 でも残念ながら時代は変わりました。少子化により、患者さんを家で介抱する家族の数も減りました。一人暮らしも普通のことになりました。その一方で、昔に比べて在宅での医療を支える訪問看護や訪問診療、そして介護福祉のネットワークが次第に充実してきたことも事実です。もう昔のような時代は戻ってきません。また、限られた資源は有効に配分しなくてはなりません。社会も家族も年月を経て変わっていくものです。こうした中で、私たちの緩和ケア病棟が果たすべき役割も、今後時代に合わせて変わってゆくだろうと思います。しかし、「誰もが納得して望んだ人生を送る」、そのためのお手伝いをすることには変わりがないでしょう。

Vol.12 後悔のない道を自分で選ぶ という話

 改めて、緩和ケアとはどんなものかを考えます。時々こんな機会を持ちたいと思います。話の切り口はいくつかありますが、今回は私たちがどの辺を見て仕事をしているかのお話です。それは「意思決定の支援」です。がんと診断された時には体の痛みなどない人の方が多いです。むしろ気持ちの動揺、生活不安、家族関係の変化といった生活上の衝撃が主でしょう。そんな時、たまたま決まった主治医との関係だけで十分でしょうか?

 短時間の外来で医師に向かってなんでも聞けますか?治療が生活に及ぼす影響が想像できますか?そんな時に誰か相談できる人はいますか?患者さんには家族にもニュアンスが伝わらない、当事者にしかわからない孤独があります。治療を受ける病院を選べるのだろうか?がんの標準治療とは何か?免疫療法や代替療法はどうなのか?マスコミやネットで見た治療はどうなのか?藁をもつかみたい気持ちで焦っても、よい選択ができるのか不安だと思います。そんな時、いったい誰が話を聴いてくれるのでしょうか?

 当院では、がん診療連携拠点病院の窓口として「がん相談支援センター」を設置しています。そこでは相談相手として、がんに詳しい看護師や医療介護に詳しいソーシャルワーカーがいます。もし体に強い痛みがあれば、落ち着いて考えることもできませんから、私たち緩和ケアチームも関わります。
また、がんを経験したサバイバーの方々が「ピアサポーター」として患者さんの立場で相談に乗ってくれます。そうした関係から、医師の方針に合わせて無理したり、焦って仕事を辞めてしまったりせず、患者さんが自らの意思で治療を選択していけるようにできたらよいと思います。さらに、長い経過の中で転移や再発が見つかってからの治療や人生の過ごし方に迷うかもしれません。患者さんは、様々な場面でいくつかの岐路に立ち、判断を迷う場面に直面するものです。主治医に見放されたくないと思うあまりに、自分の事情を犠牲にするのは本末転倒ですね。患者さんやご家族が自ら選び、後悔のない選択をするためのお手伝いを「意志決定の支援」といいます。それこそが緩和ケアの最も重要な要素だと、私たちは考えています。

 一人で抱え込まず、ぜひお近くの看護師や受付の職員にお声掛けください。ここで述べたような困難は、がん患者さんや家族に特有のものではありません。命にかかわる病があるといわれたときから、困難を希望に変えて、納得のいく人生を歩んでほしいと思います。入口はいつも開いています。患者総合支援センター・がん相談支援センターを利用してください。まだまだ利用される患者さんが少ないのが実情です。

Vol.11 迷惑をかけたくない話

 患者さんが語る切実な想いの中に「家族に迷惑をかけたくない」というものがあります。病状が進みますと、今まで難なく自分で出来ていた身の回りの世話から排泄に至るまで、人の手を借りなくては済ませられないことが多くなるのが普通です。自分のことくらい自分でやるのが当たり前、というお気持ちで自らを律している人も多いでしょう。自分に厳しい人ほど、それができない自分の姿を想像さえしたくないのかもしれません。なにせ、人に迷惑をかけるくらいなら「早く死にたい」と言い出す人までいらっしゃるくらいです。

 また、身体的な世話と同時に、経済的負担という現実も無視できないところでありましょう。働かざる者食うべからず、というやつです。そのような価値観から見ると、これから私が始めるようなお話は、いかにもあまちゃんに聞こえるかもしれません。さらに、患者さんとご家族の関係は、それまでの長い歴史の積み重ねであって一筋縄ではありません。素直に気持ちを口に出せなかったり、憎しみや強いわだかまりを抱えていたりもするでしょう。それはそうでしょうが、ここはひとつ「迷惑」の中身について考えてみるのもいいかもしれません。

 そもそも赤ちゃんは、うんちもおしっこも出し放題、おなかがすいたら泣くばかりですし、少しもお金を稼ぎませんが、誰もそれを(少なくとも表向きは)迷惑だとは言いません。なのに、いい大人が病を得て不自由になったらその世話が迷惑だとは、それこそ割に合わないことではないでしょうか。自分で出来ないことをひとに頼んでなんの悪いことがありましょう。たしかに大人は赤ちゃんと違っておおむね可愛くないし、将来大物になる期待もないですけど、そこは年の功というのがあります。いいえ、そんな理屈よりも、「ああ、私は家族に迷惑をかけている、こんなことなら死んでしまいたい。こんな役立たずな私には何もしてくれるな」と陰気なパワーをふりまかれるよりは、「ありがとう、ありがとう」と、できれば笑顔で受け入れてくれたほうが、世話する側の気持ちはどんなにか救われるだろうと思いますよ。どの道放っては置けないのですもの。

 身の回りのお世話というのは口で言うほど簡単ではありません。とくに自分で力を入れられない人体を移動させるのは、自ら吸い付くように抱っこしてくる健康な子供を抱き上げるのとはわけが違います。そして、それぞれの動作には大変気も遣います。正直大変かと聞かれて全否定は難しいかもしれません。でも、不思議なものでひとは誰かの役に立っていることで自分の存在や価値を確認している面が必ずあります。それはお世話する人だけでなく、される側の方だってそうです。世話になることは自分の価値を失うことではないのです。家族でない私たちも同じです。

 もちろん、これが仕事なのでお給料がいただける、という面はありますが、支えの必要な人を今自分が支えているのだ、という感覚は、お金以上に価値のあるものです。なので、「世話をさせてやってる」と言ったら言い過ぎかもしれないが、かといって一方的に迷惑ということはないと思った方がいいです。そういう私も、明日は我が身なのですから。

Vol.10 心のケアはメニューに載っていない話

 私たちの緩和ケア科では週二回、外来をやっています。当院の内科・外科等でがん治療中の患者さんが主体ですが、他の病院からは緩和ケア病棟について説明してほしいという紹介状を持った方が訪れます。そんな中で時折「ここに来れば心のケアもしてもらえるんですよね・・・」とお尋ねになる方がいらっしゃる。こんな時私はいささか答えに窮してしまうのです。「心のケアって何だ?」と。

 さて「心のケア」という言葉には独特な響きがあり、そこから広がるイメージは優しくて夢に満ちています。例えば、闘病にまつわる他人に言えない悩みを抱えた患者さんが、あるお医者さんや看護師さんのさりげないひと言に癒されてしまう、といったところでしょうか。あるいは心の診療科であるとされる精神科医からのアドバイスや薬、臨床心理士の働きでうつ状態が改善することなのでしょうか。じつのところ、後者のほうであれば対応可能です。治療で解決できる部分ですから。

 ところが前者のようなあいまいな癒しを求められてしまうと、正直「お約束はしかねます」と言いたくなってしまう。例えばどうでしょう。私が「ウチではこのたび心のケア、始めました」としましょう。で、なにやらありがたいような講釈を垂れて「はい、今のが心のケアでした。じゃあ、あとは会計用紙を持ってお会計ね。」これでやっていける医者もいるとは思いますけど、私は無理。むしろそんなことで「うわー心癒されたー!」と思う患者さんがいたら、かえって心配になってしまう。実際の場面では、それとは反対に、病や困難を抱えた患者さんやご家族に対して、厳しい現実と向き合っていくためのお手伝いをすることの方がずっと多いのです。

 心のケアというのはたぶん、何かに行き詰まりを感じているひとの心の中で、他人の言葉や歌をきっかけにして、たまたま咲いた花のようなものではないかと私は思います。たまたま咲くはずのその花を狙ってうまいことを言い、結果の約束までするなどということが、できるはずもありません。誤解の無いように申し添えますと、私たちのスタッフは、出会った人たちみんなに少しでも小さな花を持ち帰っていただけるよう心がけていますし、そのための努力は惜しみません。ですが、「心のケア」という名の軟膏も飲み薬もありません。そういうものだと思います。だから、当店のメニューには載っていないのです。

Vol.9 「私はいつまで入院させてもらえるのですか?」という話

 ふだん、一般病棟の入院患者さんとお話する中で、「協同病院には3カ月くらいは入院して居られるものだ」と漠然と信じている方が多いのに驚きます。そうした考えは×でもあり○でもあります。おかしな話ですが、私達職員には、患者さんの「私はいつまで入院していられるの?」という質問に答えられないのです。ややこしいですね。


 国は、病院ごとの役割分担を厳格にするため、さまざまなルールを設けています。(いつもながら)大雑把に言うと、協同病院は救急病院であると同時に、がん治療に関しては高度な検査、手術・抗がん剤・放射線などを推進する病院としても指定されています。患者さんを入院させる場合も「それだけに専念してください」ということです。それ以外が目的の入院であればよそへ行っていただくのが原則となります。


 さて入院期間ですが、まず、入院時の主な病名によって、あらかじめ望ましい入院期間が示されています。その上で、個々の患者さんによって長い・短いが出るのは仕方ありませんが、全体の平均でおおむね2週間で退院して頂くことが病院に義務付けられています。「2週間?じゃあ私は?」制度上、入院が長くなればなるほど病院に入るお金が減らされる仕組みで、一方、病院は一般に信じられているほどお金持ちではありませんから、健康保険からの支払いが減額されれば、最悪の場合診療も止まってしまうため、あらゆる努力を惜しみません。これらはすべて病院に課されたルールであって、国は直接患者さんには詳しく教えません。なので、患者さん側から見れば「この病院は冷たいなあ」「追い出すつもりか」という気持ちになるのも当然です。

 問題にされるのは平均値なので、結局「あなたがあと何日いられる」という答えはないのです。いずれにしろすべての診療は、一日も早く退院して頂くことを念頭に組まれているのが現状です。以上が一般病棟に関することです。とにかくややこしいということだけはおわかりいただけたでしょうか?では、緩和ケア病棟はどうなのか?入院が長くなるだけ利益が減る仕組みは同じですが、入院される患者さんの特性に合わせて、当院では3カ月まで、と長く設定しています。こちらは○です。

Vol.8 緩和ケア病棟はいつ使うところなのか、という話 その2

 緩和ケア病棟は、国の定めた基準に照らすと、「在宅療養支援」の病棟であるとされています。その趣旨としては、在宅で療養されている患者さんが入院せざるを得ない状況になった場合速やかに入院させてあげられることです。そして、はっきりと書いてはいませんが、状況が好転したらすぐに家で過ごしてもらうこと、という含みも同時に込められています。国の方針はあくまで在宅の推進が基本だからです。つまり、保険診療のうえで緩和ケア病棟といえども「終の棲家」としての長期入院を期待しないでほしい、という本音が見え隠れしているように私には思われます。

 当院の場合、残念ながら現状では、在宅からの緊急入院を受けられる体制をとることは難しい状況です。一方私達は、がん治療各科から緩和ケア病棟へ移ってこられた患者さんのご希望を改めて伺い、一度はあきらめていた在宅療養を可能にする試みを始めており、少しずつ実績を上げています。

Vol.7 緩和ケア病棟はいつ使うところなのか、という話 その1

 今回は、「とても大事なことだけれど意外とみんな知らない」ことについてお話します。私達は主にがん患者さんのお世話をしていますが、がんに罹ってからの成り行きには一定のパターンがあることが知られています。私がよく患者さんに「元気さグラフ」といって紹介しているものです。「がんの経過の軌跡」といいます。(図1)

【図1】

 がん細胞は、放っておけば時間とともに2個4個8個と倍々で増えますからそのボリュームの増え方も急です。病気のボリュームが増えるにはそれなりの栄養分が必要です。その栄養をどこから調達するかというと、当然患者さんの体から横取りするわけです。病気が増えればその分横取りのペースも上がります。患者さんが元気に食べている間は多少横取りされても平気でいられます。ところが、病気の増え方がピークを迎えると、急速に患者さん本体の元気がなくなり、食欲がなくなったり、腕や脚の肉が落ちて身動きが不自由になったりします。がんとからだの力関係が逆転する時期を迎えるのです。その時期は急に訪れることが多いために、患者さんは何が起きているのかわかりません。


 あわてて救急車を呼んだり、主治医に新しい治療がないか相談したりするのですが、そこからの挽回は難しく、「おかしい、こんなはずじゃないのに」と思いながら入院だけが長引くことも多いです。その時点からの余命は多くの場合、1~2カ月と言われています。このように、最期を前にして急に衰弱するのが、がんという病気のパターンなのです。逆にいえば、その時期が来るまでは、ほとんど元気でいられるということです。これだけ早期発見が叫ばれていても、いまだに「病気が見つかってからはあっという間だった」という人が後を絶たないのは、見方を変えれば、病気が相当進んでも元気でいられることの証でもあります。もちろん早期発見すれば、より危険の少ない治療で完治も期待できるし、手術や抗がん剤でがんを減らすことができる間はその都度、効果が期待できるので、時間を稼ぐことができます。わかりやすいように病気の増え方のイメージを抗がん治療の有り無しに分けて、先程のグラフに重ねてみました(下の図2グラフの赤と緑の線)。

【図2】

 もちろん個人差は大きいので、だれにでも当てはまるわけではありませんが、こうした傾向を知ることにはメリットがあります。まず第1に、体の変化に対して、慌てずに済むでしょう。第2に、身動きが不自由になることへ先手が打てることです。ぜひ、当院に1階にある、「患者総合・がん相談支援センター」へ御相談下さい。あらかじめ在宅医療や介護保険の手続きが済んでいれば、必要な時にすぐ、家でサービスが受けられるので、不必要な入院で時間を浪費しなくてよくなるのです。お世話をする御家族にしても、あてもなく長期戦を耐え抜く覚悟が必要ないことを知れば、在宅医療のハードルは少し下がるのではないでしょうか。もし、在宅はどうしても不安、他人に入られるのは困る、ということであれば、緩和ケア病棟も選択肢となります。いずれにしろ患者さんの希望で選ぶ余裕ができるのです。がんにかかったから、病状が進んだからといって、かくしごとは何も要らないのです。

Vol.6 抗がん剤をやめられない話

 手術を受けるには、体力や持病によりハードルが高いことはある程度知られています。再発がんの治療には抗がん剤が用いられることが多いです。いまでは延命効果が期待できる治療や、分子標的薬など狙い撃ち効果が期待できる薬剤も増え、選択肢が広がりました。治療のオーダーメイド化は今後進むことでしょう。この抗がん剤も、意外とハードルの高い治療であることは案外理解されていないように思います。平たく言うと、本来抗がん剤はピンピンしている患者さんにだけ使用するものです。

 一般的には、PS(Performance Status)という5段階の「元気さの目安」があり、この目安で0~2、つまり日中の半分くらいは立ち歩いて生活できる、あるいはもっと元気な人だけが抗がん剤の治療対象になるというのが世界の常識です。抗がん剤というのはそれくらい毒性が強いくすりなのです。

 しかし、実際には多くの病院で「希望を失うとかわいそう」「腫瘍マーカーの値だけでも小さくなれば」「まだ試してみる薬がある」「抗がん剤をやめるのが怖い」といった色んな人の心配や善意から、大変弱られた状態の患者さんさえもが抗がん剤の治療を続けておられます。もちろん、患者さんそれぞれに事情はあるので一概には言えませんが、抗がん剤は決して思いやりや希望のためだけに投与されてよい薬でないことは確認しておきたいところです。患者さんと主治医とが、適切な「損得勘定」をバランスさせる作業こそが、より満足感の高い治療につながると思います。これまで日本の文化が、そういったやり取りを重んじてこなかった歴史が背景にあるのではないかと感じています。

Vol.5 ボタンのかけ違いの話

 がん治療の目標は「治る」ことにきまっています。つまり病気自体無かったことになり、金輪際、病院に通わなくていいことです。しかし、じつはそこが医者と患者さんの間で最初にボタンのかけ違いが起こる最大のポイントです。医者にとってがんは早期がんを除いて、「治らなかったり、再発することもある」ということは「言うまでもない」前提です。一方、患者さんからすれば「治る」ことこそが「言うまでもない」ことであり、どんな治療もそこから入っていきます。ことに再発がんの場合、お互いのズレが混乱を招きます。

 患者さんはあえて「治るんですか」などと、恐いのもあって聞いたりしません。医者もわざわざ「治るわけじゃないですけど」などと前置きししません。それが思いやりでもあると信じているからです。希望を断ち切らないことも治療であると。治療が上手くいっているうちはいいのですが、効果が出にくい時期をいつかは迎えます。その時になって「もう難しいですね」と言われても「あれ、治してくれるんじゃなかったのですか?」とは聞けません。まるで冗談のように聞こえましたか?でもこれは案外珍しいことでもないのです。

Vol.4 がまんの話

 日本人は一般に我慢強い人が多いです。というか、我慢するのが美徳、あるいは弱みを口にするのはかっこ悪い、という文化で育ってきました。また、医者に気兼ねして、自分が本当に困っていることを相談しにくい方も多いです。言葉にしなくたって、辛そうにしている姿から何かを察してくれて悪いようにはしないだろう、という期待や甘えもあるでしょう。あえて断言しますと、医者は言わなければ気が付きません。我慢していればきっといいことがある、という切ない思いはときに裏目に出ます。患者さんが「大丈夫です」と強がれば、「そう、まだがんばれるのね」と思われるだけです。むしろ弱音を吐いて相談してくれればやりようはあるのに、我慢しすぎたせいで元気な時間を浪費することだってあるのです。

 私は、患者さんが医療の場で消費者としての権利を一方的に主張することには全く賛成していません。弱者と強者みたいな設定には価値がないからです。患者さんと医療者が、お互い率直に事情を打ち明けられる関係がもう一段進むためにはどうしたら良いかというのが、私たちの重要なテーマなのです。

Vol.3 トータルペインの話

 病に起因する苦痛は体の痛みだけではない、というお話です。なじみが薄いと思いますが、「全人的苦痛」「トータルペイン」という言葉があります。
専門的には身体的苦痛・精神的苦痛・社会的苦痛・スピリチュアルな苦痛といった分け方をします。こうした苦痛はなにも病状が進んでから発生するわけではありません。例えば病名を知ったその瞬間から様々な心配事や社会的なつまずきに直面する、それ自体が苦痛でありますから、何らかの助けがあった方がいいはずです。


 私たち医療者は、ある病気を持った人という以外に、患者さんがそうした問題をすべて含んだ存在であるということに、もう少し敏感にならなくてはいけないと思います。患者さんが病を持ちながらもより良く生きることこそが治療の目的です。個々の治療技術と、ひとの人生のバランスをとる工夫が必要です。  (つづく)

Vol.2 「診断されたときからの緩和ケア」の話 

 多くの方が、終末期医療やターミナルケア、といった言葉を連想されるのではないかと想像します。「もう治療がないから、そろそろ緩和ケアのお世話になる?」というあれです。私たちが提供する緩和ケアとは、2002年の世界保健機関(WHO)の定義に基づくものであり(当ホームページ:緩和ケアについて参照)、すなわち「疾患の早期から」生活の質を改善することです。こうした考え方は比較的新しいもののようです。

当のWHOが12年前の1990年版では「治癒不能となった患者とその家族に対して行うケア」と定義していたわけですから、いまだに皆がそう思うのも無理ないのかもしれません。この緩和ケア、本来はがんだけでなく「生命を脅かす疾患」すべてが対象となります。病気の診断から治療に至る過程で感じる苦痛は人それぞれです。下の図は、緩和ケアがどのような時期に必要とされるのかについて示したものです。

 今は図の下段のように、「患者さんが病気を知ったときから支援していく」という考え方が一般的となりました。でも、まだまだ現場の医療者や患者さんに浸透しておらず、実際に支援する体制の整備も道半ばです。「そちらの病棟に行ったらもうおしまいということでしょ」と言われてがっかりすることも多いです。病気と付き合う人生を、がんを治療する主治医だけで支えることはできません。悩みが発生したそのときから、将来を見据えて支度を整えなくてはならないのです。そのために、私たちのチームがお役に立つことがあるかもしれません。次回からは、がん診療をめぐる誤解や問題点のあれこれを数回に分けてお話してゆきます。

Vol.1 ごあいさつ

 私は平成25年4月にこちらへ赴任するまでの約20年間、主に消化器外科の現場にたずさわってきました。 そこでは病気とあまり縁のなかったふつうの人が、ある日を境にがん患者といわれるようになり、人生の転機を迎えていく場面の連続でもありました。

 がんというものは一般に慢性の病気です。たいていは長く付き合うことになります。 きわめて大雑把にいえば、手術だけで二度と再発しない人がいる一方、はじめの病状が軽くても、短期間に進行する人もいます。また十年後に再発というケースも少なくない。最初からその区別がつけばいいのですが、まだ上手に見分ける方法がありません。例えば抗がん剤によって、ごく一部のがんにおいては治ることがあり、近年では副作用対策の技術も進み、共存状態で数年維持できることも珍しくなくなりましたが、一般には延命治療であります。 じっさいに治療をお受けになった方ならわかると思いますが、少し先の病状さえ予測が難しく、ひとによって結果や満足感に大きな差があるのが現状です。 そのほかの治療もみんなを満足させるには至っていません。 かれこれ半世紀、がん治療の進歩はまだこの繰り返しを越えられないでいます。

 インフォームドコンセントは、医者が事実をありのままに説明し、患者さんに納得ずくで「損得勘定」をしてもらうやりとりです。 ひとにはそれぞれ価値観があって、病気と「徹底的に戦いたい」という人もあれば「戦わずにすべてを受け入れよう」という人もある。がん治療というのはすなわち、患者さんの人生観そのものです。 多くの人が、自らのがんの知らせを受けた時には心配ごとが一度に湧き起こり、まるで人生が突然漂流を始めてしまったかのような気分に襲われるといいます。 そして、医者の説明内容が今一つ飲み込めないまま、あたかも敷かれたレールに乗るように治療中心の生活を受け入れます。すすめられた通りの治療を受けなければ「見捨てられる」という心配をされる方もいらっしゃる。それでも困難に耐えてがんばってついて行ったのに、あるとき「もう次の治療はむずかしい」と言われれば、こんどは「見放された」と感じるのも無理はありません。 いったい誰に相談したらいいのか?

 治療というものは人生の目的ではなく、毎日をよりよく生きるための手段にすぎません。 病気と闘うときには援軍となり、戦いを休んで穏やかに過ごすときにはそのお手伝いをするのが私たちの仕事です。治療の選択そのもののお手伝いもできるかもしれません。 私は、当院に緩和ケア科のあることは、「協同病院は患者さんを最後まで見捨てない」というメッセージであると思います。 緩和ケアは、あきらめた人のための治療ではありません。 がんのように付き合いの難しい病気とどう過ごしてゆくかを、診断を受けた最初の時点から一緒に考えていく係です。私たちのホームページでは、緩和ケア考え方や取り組み、チーム医療の様子をご紹介していきます。

緩和ケア科 診療部長 橋爪正明

受診について

当院は、地域医療支援病院として、地域の医療機関と日ごろから連携体制を構築しています。診療において紹介患者さんを優先させていただいております。患者さんにおかれましては、この趣旨にご理解いただき、当院を受診される際には、かかりつけ医や他医療機関などからの紹介状をお持ちいただけるようお願い申し上げます。

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