緩和ケア科

コラム

Vol.13 緩和ケア病棟の入院期間についての訂正とその周辺の話

以前のコラムで、当院の緩和ケア病棟は3か月入院ができますと記載していました。
その後少し変更を行いまして、特に期間は設けないという形になりました。

それにはちょっとした事情があります。こちらとしては「他と違って3か月も入院できます」というつもりで表示していました。ところが、入院を希望する患者さんの中には「3か月しか入院できないのなら、遠慮します。」という人の多いことに気が付いたのです。そのため、病気による症状が強く、今こそ私たちが手をかけてあげたい患者さんが入院できないという事態を招いてきました。

過去の実績を見ると、当院緩和ケア病棟の平均在院日数は大体34日くらいです。
3か月もいない人がほとんどなのです。どうかつらい時期を適切な、希望通りの場所で過ごしていただきたいと思うばかりです。

ところで、日本の医療は健康保険で細かくルールが定められています。病院ごとの役割もあって、協同病院が単体で患者さんのすべてのご要望に応えてあげることはできません。

たとえば、一人暮らしでご高齢の患者さんが、体が不自由になったから不安だ、という理由で病院に永住できるかといえば、それはお引き受けできない相談です。

戦後日本は、高度成長で豊かなお金を前提とした制度を作り上げました。その結果、病院のベッドで人が亡くなることが常識となったことも事実です。しかし今や超高齢化社会で、経済的には右肩下がりです。健康保険から提供できるベッドには限りがあります。その結果、国の政策として、人件費や設備に多額のお金を必要とする病院という装置を、どうしても必要な時にだけ利用するという方針に舵が切られたのです。健康保険制度が充実した結果、誰もが気軽に、外国に比べて極めて安価に、好きな病院で長く世話になれることの旨みを知ってしまった私たちには、既得権を奪われたような、世知辛い、嫌な話ですね。

でも残念ながら時代は変わりました。少子化により、患者さんを家で介抱する家族の数も減りました。一人暮らしも普通のことになりました。その一方で、昔に比べて在宅での医療を支える訪問看護や訪問診療、そして介護福祉のネットワークが次第に充実してきたことも事実です。

もう昔のような時代は戻ってきません。また、限られた資源は有効に配分しなくてはなりません。社会も家族も年月を経て変わっていくものです。こうした中で、私たちの緩和ケア病棟が果たすべき役割も、今後時代に合わせて変わってゆくだろうと思います。しかし、「誰もが納得して望んだ人生を送る」、そのためのお手伝いをすることには変わりがないでしょう。

Vol.12 後悔のない道を自分で選ぶ という話

改めて、緩和ケアとはどんなものかを考えます。時々こんな機会を持ちたいと思います。
話の切り口はいくつかありますが、今回は私たちがどの辺を見て仕事をしているかのお話です。それは「意思決定の支援」です。

がんと診断された時には体の痛みなどない人の方が多いです。むしろ気持ちの動揺、生活不安、家族関係の変化といった生活上の衝撃が主でしょう。そんな時、たまたま決まった主治医との関係だけで十分でしょうか?

短時間の外来で医師に向かってなんでも聞けますか?治療が生活に及ぼす影響が想像できますか?そんな時に誰か相談できる人はいますか?
患者さんには家族にもニュアンスが伝わらない、当事者にしかわからない孤独があります。治療を受ける病院を選べるのだろうか?がんの標準治療とは何か?免疫療法や代替療法はどうなのか?マスコミやネットで見た治療はどうなのか?藁をもつかみたい気持ちで焦っても、よい選択ができるのか不安だと思います。そんな時、いったい誰が話を聴いてくれるのでしょうか?

当院では、がん診療連携拠点病院の窓口として「がん相談支援センター」を設置しています。そこでは相談相手として、がんに詳しい看護師や医療介護に詳しいソーシャルワーカーがいます。もし体に強い痛みがあれば、落ち着いて考えることもできませんから、私たち緩和ケアチームも関わります。

また、がんを経験したサバイバーの方々が「ピアサポーター」として患者さんの立場で相談に乗ってくれます。
そうした関係から、医師の方針に合わせて無理したり、焦って仕事を辞めてしまったりせず、患者さんが自らの意思で治療を選択していけるようにできたらよいと思います。さらに、長い経過の中で転移や再発が見つかってからの治療や人生の過ごし方に迷うかもしれません。患者さんは、様々な場面でいくつかの岐路に立ち、判断を迷う場面に直面するものです。

主治医に見放されたくないと思うあまりに、自分の事情を犠牲にするのは本末転倒ですね。

患者さんやご家族が自ら選び、後悔のない選択をするためのお手伝いを「意志決定の支援」といいます。それこそが緩和ケアの最も重要な要素だと、私たちは考えています。

一人で抱え込まず、ぜひお近くの看護師や受付の職員にお声掛けください。
ここで述べたような困難は、がん患者さんや家族に特有のものではありません。命にかかわる病があるといわれたときから、困難を希望に変えて、納得のいく人生を歩んでほしいと思います。

入口はいつも開いています。患者総合支援センター・がん相談支援センターを利用してください。
まだまだ利用される患者さんが少ないのが実情です。

 


Vol.11 迷惑をかけたくない話

患者さんが語る切実な想いの中に「家族に迷惑をかけたくない」というものがあります。
病状が進みますと、今まで難なく自分で出来ていた身の回りの世話から排泄に至るまで、人の手を借りなくては済ませられないことが多くなるのが普通です。自分のことくらい自分でやるのが当たり前、というお気持ちで自らを律している人も多いでしょう。自分に厳しい人ほど、それができない自分の姿を想像さえしたくないのかもしれません。なにせ、人に迷惑をかけるくらいなら「早く死にたい」と言い出す人までいらっしゃるくらいです。

また、身体的な世話と同時に、経済的負担という現実も無視できないところでありましょう。働かざる者食うべからず、というやつです。そのような価値観から見ると、これから私が始めるようなお話は、いかにもあまちゃんに聞こえるかもしれません。さらに、患者さんとご家族の関係は、それまでの長い歴史の積み重ねであって一筋縄ではありません。素直に気持ちを口に出せなかったり、憎しみや強いわだかまりを抱えていたりもするでしょう。それはそうでしょうが、ここはひとつ「迷惑」の中身について考えてみるのもいいかもしれません。

そもそも赤ちゃんは、うんちもおしっこも出し放題、おなかがすいたら泣くばかりですし、少しもお金を稼ぎませんが、誰もそれを(少なくとも表向きは)迷惑だとは言いません。なのに、いい大人が病を得て不自由になったらその世話が迷惑だとは、それこそ割に合わないことではないでしょうか。自分で出来ないことをひとに頼んでなんの悪いことがありましょう。

たしかに大人は赤ちゃんと違っておおむね可愛くないし、将来大物になる期待もないですけど、そこは年の功というのがあります。いいえ、そんな理屈よりも、「ああ、私は家族に迷惑をかけている、こんなことなら死んでしまいたい。こんな役立たずな私には何もしてくれるな」と陰気なパワーをふりまかれるよりは、「ありがとう、ありがとう」と、できれば笑顔で受け入れてくれたほうが、世話する側の気持ちはどんなにか救われるだろうと思いますよ。どの道放っては置けないのですもの。

身の回りのお世話というのは口で言うほど簡単ではありません。とくに自分で力を入れられない人体を移動させるのは、自ら吸い付くように抱っこしてくる健康な子供を抱き上げるのとはわけが違います。そして、それぞれの動作には大変気も遣います。

正直大変かと聞かれて全否定は難しいかもしれません。でも、不思議なものでひとは誰かの役に立っていることで自分の存在や価値を確認している面が必ずあります。それはお世話する人だけでなく、される側の方だってそうです。世話になることは自分の価値を失うことではないのです。家族でない私たちも同じです。

もちろん、これが仕事なのでお給料がいただける、という面はありますが、支えの必要な人を今自分が支えているのだ、という感覚は、お金以上に価値のあるものです。なので、「世話をさせてやってる」と言ったら言い過ぎかもしれないが、かといって一方的に迷惑ということはないと思った方がいいです。そういう私も、明日は我が身なのですから。


Vol.10 心のケアはメニューに載っていない話

私たちの緩和ケア科では週二回、外来をやっています。

当院の内科・外科等でがん治療中の患者さんが主体ですが、他の病院からは緩和ケア病棟について説明してほしいという紹介状を持った方が訪れます。そんな中で時折「ここに来れば心のケアもしてもらえるんですよね・・・」とお尋ねになる方がいらっしゃる。こんな時私はいささか答えに窮してしまうのです。「心のケアって何だ?」と。

さて「心のケア」という言葉には独特な響きがあり、そこから広がるイメージは優しくて夢に満ちています。
例えば、闘病にまつわる他人に言えない悩みを抱えた患者さんが、あるお医者さんや看護師さんのさりげないひと言に癒されてしまう、といったところでしょうか。

あるいは心の診療科であるとされる精神科医からのアドバイスや薬、臨床心理士の働きでうつ状態が改善することなのでしょうか。
じつのところ、後者のほうであれば対応可能です。治療で解決できる部分ですから。

ところが前者のようなあいまいな癒しを求められてしまうと、正直「お約束はしかねます」と言いたくなってしまう。
例えばどうでしょう。私が「ウチではこのたび心のケア、始めました」としましょう。で、なにやらありがたいような講釈を垂れて「はい、今のが心のケアでした。じゃあ、あとは会計用紙を持ってお会計ね。」これでやっていける医者もいるとは思いますけど、私は無理。
むしろそんなことで「うわー心癒されたー!」と思う患者さんがいたら、かえって心配になってしまう。

実際の場面では、それとは反対に、病や困難を抱えた患者さんやご家族に対して、厳しい現実と向き合っていくためのお手伝いをすることの方がずっと多いのです。

心のケアというのはたぶん、何かに行き詰まりを感じているひとの心の中で、他人の言葉や歌をきっかけにして、たまたま咲いた花のようなものではないかと私は思います。
たまたま咲くはずのその花を狙ってうまいことを言い、結果の約束までするなどということが、できるはずもありません。

誤解の無いように申し添えますと、私たちのスタッフは、出会った人たちみんなに少しでも小さな花を持ち帰っていただけるよう心がけていますし、そのための努力は惜しみません。ですが、「心のケア」という名の軟膏も飲み薬もありません。そういうものだと思います。だから、当店のメニューには載っていないのです。

Vol.9 「私はいつまで入院させてもらえるのですか?」という話

ふだん、一般病棟の入院患者さんとお話する中で、「協同病院には3カ月くらいは入院して居られるものだ」と漠然と信じている方が多いのに驚きます。


そうした考えは×でもあり○でもあります。

おかしな話ですが、私達職員には、患者さんの「私はいつまで入院していられるの?」という質問に答えられないのです。ややこしいですね。
国は、病院ごとの役割分担を厳格にするため、さまざまなルールを設けています。
(いつもながら)大雑把に言うと、協同病院は救急病院であると同時に、がん治療に関しては高度な検査、手術・抗がん剤・放射線などを推進する病院としても指定されています。
患者さんを入院させる場合も「それだけに専念してください」ということです。それ以外が目的の入院であればよそへ行っていただくのが原則となります。


さて入院期間ですが、まず、入院時の主な病名によって、あらかじめ望ましい入院期間が示されています。その上で、個々の患者さんによって長い・短いが出るのは仕方ありませんが、全体の平均でおおむね2週間で退院して頂くことが病院に義務付けられています。

「2週間?じゃあ私は?」
制度上、入院が長くなればなるほど病院に入るお金が減らされる仕組みで、一方、病院は一般に信じられているほどお金持ちではありませんから、健康保険からの支払いが減額されれば、最悪の場合診療も止まってしまうため、あらゆる努力を惜しみません。
これらはすべて病院に課されたルールであって、国は直接患者さんには詳しく教えません。なので、患者さん側から見れば「この病院は冷たいなあ」「追い出すつもりか」という気持ちになるのも当然です。


問題にされるのは平均値なので、結局「あなたがあと何日いられる」という答えはないのです。いずれにしろすべての診療は、一日も早く退院して頂くことを念頭に組まれているのが現状です。
以上が一般病棟に関することです。とにかくややこしいということだけはおわかりいただけたでしょうか?
では、緩和ケア病棟はどうなのか?

入院が長くなるだけ利益が減る仕組みは同じですが、入院される患者さんの特性に合わせて、当院では3カ月まで、と長く設定しています。こちらは○です。


Vol.8 緩和ケア病棟はいつ使うところなのか、という話 その2

緩和ケア病棟は、国の定めた基準に照らすと、「在宅療養支援」の病棟であるとされています。その趣旨としては、在宅で療養されている患者さんが入院せざるを得ない状況になった場合速やかに入院させてあげられることです。そして、はっきりと書いてはいませんが、状況が好転したらすぐに家で過ごしてもらうこと、という含みも同時に込められています。


国の方針はあくまで在宅の推進が基本だからです。
つまり、保険診療のうえで緩和ケア病棟といえども「終の棲家」としての長期入院を期待しないでほしい、という本音が見え隠れしているように私には思われます。

当院の場合、残念ながら現状では、在宅からの緊急入院を受けられる体制をとることは難しい状況です。
一方私達は、がん治療各科から緩和ケア病棟へ移ってこられた患者さんのご希望を改めて伺い、一度はあきらめていた在宅療養を可能にする試みを始めており、少しずつ実績を上げています。


Vol.7 緩和ケア病棟はいつ使うところなのか、という話 その1

今回は、「とても大事なことだけれど意外とみんな知らない」ことについてお話します。
私達は主にがん患者さんのお世話をしていますが、がんに罹ってからの成り行きには一定のパターンがあることが知られています。私がよく患者さんに「元気さグラフ」といって紹介しているものです。「がんの経過の軌跡」といいます。(図1)


がん細胞は、放っておけば時間とともに2個4個8個と倍々で増えますからそのボリュームの増え方も急です。
病気のボリュームが増えるにはそれなりの栄養分が必要です。その栄養をどこから調達するかというと、当然患者さんの体から横取りするわけです。病気が増えればその分横取りのペースも上がります。患者さんが元気に食べている間は多少横取りされても平気でいられます。

ところが、病気の増え方がピークを迎えると、急速に患者さん本体の元気がなくなり、食欲がなくなったり、腕や脚の肉が落ちて身動きが不自由になったりします。がんとからだの力関係が逆転する時期を迎えるのです。その時期は急に訪れることが多いために、患者さんは何が起きているのかわかりません。


あわてて救急車を呼んだり、主治医に新しい治療がないか相談したりするのですが、そこからの挽回は難しく、「おかしい、こんなはずじゃないのに」と思いながら入院だけが長引くことも多いです。その時点からの余命は多くの場合、1~2カ月と言われています。

このように、最期を前にして急に衰弱するのが、がんという病気のパターンなのです。逆にいえば、その時期が来るまでは、ほとんど元気でいられるということです。


これだけ早期発見が叫ばれていても、いまだに「病気が見つかってからはあっという間だった」という人が後を絶たないのは、見方を変えれば、病気が相当進んでも元気でいられることの証でもあります。もちろん早期発見すれば、より危険の少ない治療で完治も期待できるし、手術や抗がん剤でがんを減らすことができる間はその都度、効果が期待できるので、時間を稼ぐことができます。


わかりやすいように病気の増え方のイメージを抗がん治療の有り無しに分けて、先程のグラフに重ねてみました(下の図2グラフの赤と緑の線)。



もちろん個人差は大きいので、だれにでも当てはまるわけではありませんが、こうした傾向を知ることにはメリットがあります。
まず第1に、体の変化に対して、慌てずに済むでしょう。

第2に、身動きが不自由になることへ先手が打てることです。ぜひ、当院に1階にある、「患者総合・がん相談支援センター」へ御相談下さい。あらかじめ在宅医療や介護保険の手続きが済んでいれば、必要な時にすぐ、家でサービスが受けられるので、不必要な入院で時間を浪費しなくてよくなるのです。


お世話をする御家族にしても、あてもなく長期戦を耐え抜く覚悟が必要ないことを知れば、在宅医療のハードルは少し下がるのではないでしょうか。
もし、在宅はどうしても不安、他人に入られるのは困る、ということであれば、緩和ケア病棟も選択肢となります。 いずれにしろ患者さんの希望で選ぶ余裕ができるのです。


がんにかかったから、病状が進んだからといって、かくしごとは何も要らないのです。


Vol.6 抗がん剤をやめられない話

手術を受けるには、体力や持病によりハードルが高いことはある程度知られています。
再発がんの治療には抗がん剤が用いられることが多いです。

いまでは延命効果が期待できる治療や、分子標的薬など狙い撃ち効果が期待できる薬剤も増え、選択肢が広がりました。治療のオーダーメイド化は今後進むことでしょう。

この抗がん剤も、意外とハードルの高い治療であることは案外理解されていないように思います。
平たく言うと、本来抗がん剤はピンピンしている患者さんにだけ使用するものです。

一般的には、PS(Performance Status)という5段階の「元気さの目安」があり、この目安で0~2、つまり日中の半分くらいは立ち歩いて生活できる、あるいはもっと元気な人だけが抗がん剤の治療対象になるというのが世界の常識です。
抗がん剤というのはそれくらい毒性が強いくすりなのです。

しかし、実際には多くの病院で「希望を失うとかわいそう」「腫瘍マーカーの値だけでも小さくなれば」「まだ試してみる薬がある」「抗がん剤をやめるのが怖い」といった色んな人の心配や善意から、大変弱られた状態の患者さんさえもが抗がん剤の治療を続けておられます。もちろん、患者さんそれぞれに事情はあるので一概には言えませんが、抗がん剤は決して思いやりや希望のためだけに投与されてよい薬でないことは確認しておきたいところです。

患者さんと主治医とが、適切な「損得勘定」をバランスさせる作業こそが、より満足感の高い治療につながると思います。
これまで日本の文化が、そういったやり取りを重んじてこなかった歴史が背景にあるのではないかと感じています。

Vol.5 ボタンのかけ違いの話

がん治療の目標は「治る」ことにきまっています。つまり病気自体無かったことになり、金輪際、病院に通わなくていいことです。

しかし、じつはそこが医者と患者さんの間で最初にボタンのかけ違いが起こる最大のポイントです。

医者にとってがんは早期がんを除いて、「治らなかったり、再発することもある」ということは「言うまでもない」前提です。
一方、患者さんからすれば「治る」ことこそが「言うまでもない」ことであり、どんな治療もそこから入っていきます。

ことに再発がんの場合、お互いのズレが混乱を招きます。

患者さんはあえて「治るんですか」などと、恐いのもあって聞いたりしません。
医者もわざわざ「治るわけじゃないですけど」などと前置きししません。それが思いやりでもあると信じているからです。希望を断ち切らないことも治療であると。

治療が上手くいっているうちはいいのですが、効果が出にくい時期をいつかは迎えます。
その時になって「もう難しいですね」と言われても「あれ、治してくれるんじゃなかったのですか?」とは聞けません。

まるで冗談のように聞こえましたか?でもこれは案外珍しいことでもないのです。

Vol.4 がまんの話

日本人は一般に我慢強い人が多いです。というか、我慢するのが美徳、あるいは弱みを口にするのはかっこ悪い、という文化で育ってきました。

また、医者に気兼ねして、自分が本当に困っていることを相談しにくい方も多いです。
言葉にしなくたって、辛そうにしている姿から何かを察してくれて悪いようにはしないだろう、という期待や甘えもあるでしょう。

あえて断言しますと、医者は言わなければ気が付きません。
我慢していればきっといいことがある、という切ない思いはときに裏目に出ます。
患者さんが「大丈夫です」と強がれば、「そう、まだがんばれるのね」と思われるだけです。

むしろ弱音を吐いて相談してくれればやりようはあるのに、我慢しすぎたせいで元気な時間を浪費することだってあるのです。

私は、患者さんが医療の場で消費者としての権利を一方的に主張することには全く賛成していません。弱者と強者みたいな設定には価値がないからです。

患者さんと医療者が、お互い率直に事情を打ち明けられる関係がもう一段進むためにはどうしたら良いかというのが、私たちの重要なテーマなのです。

Vol.3 トータルペインの話

病に起因する苦痛は体の痛みだけではない、というお話です。

なじみが薄いと思いますが、「全人的苦痛」「トータルペイン」という言葉があります。
専門的には身体的苦痛・精神的苦痛・社会的苦痛・スピリチュアルな苦痛といった分け方をします。

こうした苦痛はなにも病状が進んでから発生するわけではありません。
例えば病名を知ったその瞬間から様々な心配事や社会的なつまずきに直面する、それ自体が苦痛でありますから、何らかの助けがあった方がいいはずです。

私たち医療者は、ある病気を持った人という以外に、患者さんがそうした問題をすべて含んだ存在であるということに、もう少し敏感にならなくてはいけないと思います。

患者さんが病を持ちながらもより良く生きることこそが治療の目的です。
個々の治療技術と、ひとの人生のバランスをとる工夫が必要です。  (つづく)

Vol.2 「診断されたときからの緩和ケア」の話 

多くの方が、終末期医療やターミナルケア、といった言葉を連想されるのではないかと想像します。
「もう治療がないから、そろそろ緩和ケアのお世話になる?」というあれです。

私たちが提供する緩和ケアとは、2002年の世界保健機関(WHO)の定義に基づくものであり(当ホームページ:緩和ケアについて参照)、すなわち「疾患の早期から」生活の質を改善することです。こうした考え方は比較的新しいもののようです。

当のWHOが12年前の1990年版では「治癒不能となった患者とその家族に対して行うケア」と定義していたわけですから、いまだに皆がそう思うのも無理ないのかもしれません。
この緩和ケア、本来はがんだけでなく「生命を脅かす疾患」すべてが対象となります。
病気の診断から治療に至る過程で感じる苦痛は人それぞれです。

下の図は、緩和ケアがどのような時期に必要とされるのかについて示したものです。

今は図の下段のように、「患者さんが病気を知ったときから支援していく」という考え方が一般的となりました。でも、まだまだ現場の医療者や患者さんに浸透しておらず、実際に支援する体制の整備も道半ばです。「そちらの病棟に行ったらもうおしまいということでしょ」と言われてがっかりすることも多いです。

病気と付き合う人生を、がんを治療する主治医だけで支えることはできません。
悩みが発生したそのときから、将来を見据えて支度を整えなくてはならないのです。
そのために、私たちのチームがお役に立つことがあるかもしれません。

次回からは、がん診療をめぐる誤解や問題点のあれこれを数回に分けてお話してゆきます。

Vol.1 ごあいさつ

私は平成25年4月にこちらへ赴任するまでの約20年間、主に消化器外科の現場にたずさわってきました。 そこでは病気とあまり縁のなかったふつうの人が、ある日を境にがん患者といわれるようになり、人生の転機を迎えていく場面の連続でもありました。

 

がんというものは一般に慢性の病気です。たいていは長く付き合うことになります。 きわめて大雑把にいえば、手術だけで二度と再発しない人がいる一方、はじめの病状が軽くても、短期間に進行する人もいます。また十年後に再発というケースも少なくない。最初からその区別がつけばいいのですが、まだ上手に見分ける方法がありません。

 

例えば抗がん剤によって、ごく一部のがんにおいては治ることがあり、近年では副作用対策の技術も進み、共存状態で数年維持できることも珍しくなくなりましたが、一般には延命治療であります。 じっさいに治療をお受けになった方ならわかると思いますが、少し先の病状さえ予測が難しく、ひとによって結果や満足感に大きな差があるのが現状です。 そのほかの治療もみんなを満足させるには至っていません。 かれこれ半世紀、がん治療の進歩はまだこの繰り返しを越えられないでいます。

 

インフォームドコンセントは、医者が事実をありのままに説明し、患者さんに納得ずくで「損得勘定」をしてもらうやりとりです。 ひとにはそれぞれ価値観があって、病気と「徹底的に戦いたい」という人もあれば「戦わずにすべてを受け入れよう」という人もある。がん治療というのはすなわち、患者さんの人生観そのものです。 多くの人が、自らのがんの知らせを受けた時には心配ごとが一度に湧き起こり、まるで人生が突然漂流を始めてしまったかのような気分に襲われるといいます。 そして、医者の説明内容が今一つ飲み込めないまま、あたかも敷かれたレールに乗るように治療中心の生活を受け入れます。すすめられた通りの治療を受けなければ「見捨てられる」という心配をされる方もいらっしゃる。それでも困難に耐えてがんばってついて行ったのに、あるとき「もう次の治療はむずかしい」と言われれば、こんどは「見放された」と感じるのも無理はありません。 いったい誰に相談したらいいのか?

 

治療というものは人生の目的ではなく、毎日をよりよく生きるための手段にすぎません。 病気と闘うときには援軍となり、戦いを休んで穏やかに過ごすときにはそのお手伝いをするのが私たちの仕事です。治療の選択そのもののお手伝いもできるかもしれません。 私は、当院に緩和ケア科のあることは、「協同病院は患者さんを最後まで見捨てない」というメッセージであると思います。 緩和ケアは、あきらめた人のための治療ではありません。 がんのように付き合いの難しい病気とどう過ごしてゆくかを、診断を受けた最初の時点から一緒に考えていく係です。

 

私たちのホームページでは、緩和ケア考え方や取り組み、チーム医療の様子をご紹介していきます。

                                                                                     緩和ケア科 診療部長 橋爪正明